よもやま文庫/語り継ぐこころ

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たち・私の与太話・古典小説のダイジェスト版と挿絵です。 文も挿絵もChatGPTが作っています。ちょんまげの描写が正しくできません。お許しを。

『宮沢賢治の詩と心象風景』第六回「小岩井農場」2話 ひばりと光の火山灰道/全12話

100えんメガネ

【原文】

へたなたむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
雨はけふはだいじやうぶふらない
しかし馬車もはやいと云つたところで
そんなにすてきなわけではない
いままでたつてやつとあすこまで
ここからあすこまでのこのまつすぐな
火山灰のみちの分だけ行つたのだ
あすこはちやうどまがり目で
すがれの草穂もゆれてゐる
(山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし
かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)


【現代語訳文】

遠い空では、たどたどしいタンバリンの音が鳴っている。今日は雨の心配もなさそうだ。けれど、馬車が速いといっても、驚くほど見事なものではない。さっきから走り続けて、ようやくあの場所まで進んだだけだ。ここからあそこへ、まっすぐ伸びる火山灰の道、そのわずかな距離を行ったにすぎない。あそこはちょうど道の曲がり角で、枯れかけた草の穂が風に揺れている。山は青い雲に満たされて光り、その中を、黒く立派な馬車が駆けてゆく。



【原文】

ひばり ひばり
銀の微塵のちらばるそらへ
たつたいまのぼつたひばりなのだ
くろくてすばやくきんいろだ
そらでやるブラウン運動
おまけにあいつの翅ときたら
甲虫のやうに四まいある
飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
たしかに二重にもつてゐる
よほど上手に鳴いてゐる
そらのひかりを呑みこんでゐる


【現代語訳文 】

ひばりだ、ひばりだ。銀の粉がきらめき散る空へ、たった今、一羽のひばりが舞い上がった。黒く、素早く、しかも金色に輝きながら、空中を微粒子のように自在に飛び回っている。あの翼ときたら、甲虫のように四枚もあるらしい。飴色の薄い翼と、漆を塗ったような硬い翼を、確かに二重に備えているのだ。ひばりは実に巧みにさえずりながら、空いっぱいの光を、その小さな体へ呑み込んでいる。



【原文】

もちろんずつと遠くでは
もつとたくさんないてゐる
そいつのはうははいけいだ
そこで向ふの方からは
こつちのやつがごく勇敢に見えるのだらう
うしろから五月のいまごろ
黒いながいオーヴアを着た
医者らしいものがやつてくる
たびたびこつちをみてゐるやうだ
たつたひとりで一本みちを行くときに
ごくありふれたことなのだ


【現代語訳文 】

もちろん、もっと遠い空では、さらに多くのひばりが鳴いている。けれど、それらはただの背景だ。向こうから見れば、こちらの一羽こそ、ひどく勇ましく見えるのだろう。五月の道を歩いていると、後ろから、黒く長い外套を着た医者らしい男が近づいてくる。何度もこちらを見ているような気がする。けれど、ひとりきりで一本道を歩いていれば、そんなふうに感じることは、どこにでもあるごく普通のことなのだ。



【原文】

冬にもやつぱりこんなあんばいに
くろいイムバネスがやつてきて
本部へはこれでいいんですかと
遠くからことばの浮標をなげつけた
でこぼこのゆきみちを
辛うじて咀嚼するといふ風にあるきながら
本部へはこれでいゝんですかと
心細さうにきいたのだ
おれはぶつきら棒にああと言つただけなので
ちやうどそれだけ大へんかあいさうな気もした
けふのはもつと遠くからくる


【現代語訳文 】

冬にも、やはりこんなふうだった。黒いインバネスを着た男がやって来て、「本部へは、この道でいいのでしょうか」と、遠くから言葉の浮標を投げるように尋ねた。でこぼこの雪道を、どうにか噛み砕くように歩きながら、もう一度、心細そうに道を聞いたのだ。私はぶっきらぼうに「ああ」と答えただけだった。それを思い出すと、その素っ気なさのぶんだけ、ひどく気の毒なことをしたように感じる。今日の人影は、あの時よりもさらに遠くから近づいてくる。


57.『古典落語』「つる」

100えんメガネ

長屋の与太郎は、今日も今日とて暇をもてあましている。頭の回転は少々鈍いが、どこか憎めぬ愛嬌の持ち主だ。ある日、近所の旦那がふと思いつき、与太郎に声をかける。「おい与太、鶴(つる)ってどうやって立つか知ってるかい?」――この問いが騒動のはじまり。「さあ、鶴は飛ぶとは聞きますが、立つところは見たことありやせん」と与太郎。そこで旦那は冗談半分に、「鶴はねぇ、逆さまに立つんだよ」と嘘を吹き込む。



与太郎は「へえ、そいつはすごいや」と目を丸くして感心し、すっかり信じ込む。その夜、長屋では「鶴は逆さに立つらしいぞ」と噂が立ち、与太郎の話はたちまち広まる。翌日には与太郎、得意満面で町中に吹聴して回る始末。聞いた人々は「なんだそれは」と笑いながらも、与太郎の真剣な顔に呆れと可笑しみが入り混じる。



ところが、ひょんなことから、その話が近くの庄屋さんの耳に入る。好奇心旺盛な庄屋は、「それは面白い。ぜひ見てみたい」と言い出し、鶴がいるという寺に与太郎を連れて行くことに。寺に着いた与太郎、鶴のいる池の前で「こら鶴、さっさと逆立ちしろ!」と怒鳴る。しかし当然、鶴は知らぬ顔。庄屋も和尚も、「おいおい、与太郎。お前の話はどうなってんだ?」と困惑顔。与太郎はなおも鶴を睨みつけ、「さっきまでちゃんと逆さに立ってたのに、見せないなんて不義理なやつだ!」と憤る始末。



和尚が苦笑しつつ、「鶴が逆さに立つとは、また見事な作り話。いったい誰がそんなことを教えたんだい?」と尋ねると、与太郎は「○○さんです」と得意げに答える(○○には旦那の名)。庄屋が「これは面白い。与太郎ではなく、その旦那を呼んで話を聞こう」と言い出し、一騒動が起こることに。結局、与太郎の素直さと、旦那の悪戯心が招いた一席。だが、どこか憎めないそのやり取りに、寺の池に吹く風も、江戸の粋をふわりと運ぶのであった。


「私の与太話」「刑期」

100えんメガネ

近ごろ、犯罪の刑が軽すぎるという声をよく聞く。人を傷つけ、命まで奪っておきながら、何年かすれば刑務所を出てくる。世の中では「人生百年時代」と言うのに、刑期だけは昔の物差しのままに見える。奪われた人生は戻らないのに、加害者の時間だけが先へ進んでいく。



裁判では、加害者の反省、更生、家庭環境、人権が語られる。それも大事なことだろう。だが、殺された人の無念や、残された家族の悲しみは、どこまで量られているのか。遺族にとって事件は判決の日で終わらない。命日、正月、誕生日のたびに、空いた席を見つめ続けることになる。



刑とは何だろう。仕返しだけでは社会は荒れる。だが、更生だけを見れば、被害者の人生が置き去りになる。罪を犯した者がやり直す道を持つなら、奪われた側の無念にも、もっと長く寄り添う仕組みが要る。刑の年数だけでなく、被害者の尊厳を社会が忘れないことも罰の一部ではないか。



結局、刑の重さは年数だけでは測れない。しかし、命の重さより軽く見えてしまえば、人の心は納得しない。加害者に未来があるなら、被害者にも奪われた未来があった。その差をどう埋めるかが、これからの裁きの宿題である。もっとも、宿題だけ出して百年かけるようでは、先生より先に遺族が卒業してしまう。


132.日本おとぎ噺 「鶴柿(つるがき)」

100えんメガネ

ある村に、欲深で有名な老人が住んでいた。ある秋の日、山の柿の木に一羽の鶴がひと休みしていた。老人は柿をもぎ取り、こっそり食べようとしたが、木の枝が折れ、地面に落ちて腰を打ってしまう。そこへ鶴が舞い降りてきて「人の欲は身を滅ぼすぞ」と告げる。老人は一瞬怯えつつも、鶴が言葉を話したことに驚き、ただ茫然と見上げるばかりであった。



やがて鶴は人の姿に変じ、老人に言った。「この柿は天から授かったもので、人の欲で食べるべきではない」と。老人は「そんなこと言ったって、腹を満たすものがなければ生きられぬ」と反論する。鶴は老人の心を試すため、「もし欲を抑えられれば長寿と安らぎを与えよう」と約束した。老人は渋々うなずき、柿をそのままにして家へ帰った。



しばらくの間、老人は約束を守って柿を取らなかった。しかしある冬の日、空腹に耐えかねて柿の木に登り、こっそり実を食べてしまった。その瞬間、空から鶴の鳴き声が響き、木の枝が再び折れ、老人は地面に転げ落ちた。さらに家の蔵に隠していた他の柿もすべて腐り、手元には何一つ残らなかった。欲を抑えきれなかった報いが、容赦なく老人に降りかかったのである。



落ちた老人は痛みに呻きながらも、ようやく悟った。「欲張ればすべてを失う」と。以来、村の人々に「欲を張るな、欲を抑えてこそ長く生きられる」と語り聞かせ、自らも質素に暮らすようになった。人々は老人の話を笑いながらも肝に銘じ、この教えは村に伝わっていった。鶴と柿の不思議な出来事は、欲に溺れることの恐ろしさを示す戒めとなり、今も語り継がれている。


『宮沢賢治の詩と心象風景』第六回「小岩井農場」1話 汽車を降りて春の野へ/全12話

100えんメガネ

【原文】

わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
けれどももつとはやいひとはある
化学の並川さんによく肖たひとだ
あのオリーブのせびろなどは
そつくりおとなしい農学士だ
さつき盛岡のていしやばでも
たしかにわたくしはさうおもつてゐた
このひとが砂糖水のなかの
つめたくあかるい待合室から
ひとあしでるとき……わたくしもでる
馬車がいちだいたつてゐる
馭者がひとことなにかいふ
黒塗りのすてきな馬車だ
光沢消しだ
馬も上等のハツクニー
このひとはかすかにうなづき
それからじぶんといふ小さな荷物を
載つけるといふ気軽なふうで
馬車にのぼつてこしかける
(わづかの光の交錯だ)
その陽のあたつたせなかが
すこし屈んでしんとしてゐる

【現代語訳文】

私はずいぶん素早く汽車を降りた。
その勢いで、雲までぎらりと光ったようだった。
けれど、もっと早い人がいる。
化学の並川さんによく似た、オリーブ色の背広の、物静かな農学士だ。
盛岡駅でも、たしかにそう思った。
冷たく明るい待合室を彼が一歩出ると、私も続く。
黒塗りの立派な馬車と、上等なハックニー種の馬。
彼は軽くうなずき、自分という小さな荷物を載せるように気軽く座った。
日の当たる背中は少しかがみ、静まり返っていた。



【原文】

わたくしはあるいて馬と並ぶ
これはあるいは客馬車だ
どうも農場のらしくない
わたくしにも乗れといへばいい
馭者がよこから呼べばいい
乗らなくたつていゝのだが
これから五里もあるくのだし
くらかけ山の下あたりで
ゆつくり時間もほしいのだ
あすこなら空気もひどく明瞭で
樹でも艸でもみんな幻燈だ
もちろんおきなぐさも咲いてゐるし
野はらは黒ぶだう酒のコツプもならべて
わたくしを款待するだらう
そこでゆつくりとどまるために
本部まででも乗つた方がいい
今日ならわたくしだつて
馬車に乗れないわけではない
(あいまいな思惟の蛍光
きつといつでもかうなのだ)
もう馬車がうごいてゐる
(これがじつにいゝことだ
どうしようか考へてゐるひまに
それが過ぎて滅くなるといふこと)
ひらつとわたくしを通り越す
みちはまつ黒の腐植土で
雨あがりだし弾力もある
馬はピンと耳を立て
その端は向ふの青い光に尖り

いかにもきさくに馳けて行く


【現代語訳文】

私は歩きながら馬車と並んで進む。農場の馬車ではなく、客を乗せるものらしい。馭者が「乗りませんか」と声をかければよいのにと思う。これから五里も歩くのだし、鞍掛山のふもとでは、澄みきった空気の中、木も草も幻灯のように輝き、おきなぐさも咲いているだろう。野原は黒ぶどう酒の杯を並べ、私を迎えてくれるに違いない。だが迷っているうちに、馬車はひらりと追い越していった。それでよい。考えている間に、物事が過ぎ去って消えるのは、いつものことなのだ。雨上がりの黒い土を蹴り、馬は青い光へ耳を尖らせ、軽やかに駆けてゆく。



【原文】

うしろからはもうたれも来ないのか
つつましく肩をすぼめた停車場と
新開地風の飲食店
ガラス障子はありふれてでこぼこ
わらぢや sun-maid のから函や
夏みかんのあかるいにほひ
汽車からおりたひとたちは
さつきたくさんあつたのだが
みんな丘かげの茶褐部落や
繋あたりへ往くらしい
西にまがつて見えなくなつた
いまわたくしは歩測のときのやう
しんかい地ふうのたてものは
みんなうしろに片附けた
そしてこここそ畑になつてゐる
黒馬が二ひき汗でぬれ
犁をひいて往つたりきたりする
ひはいろのやはらかな山のこつちがはだ
山ではふしぎに風がふいてゐる
嫩葉がさまざまにひるがへる
ずうつと遠くのくらいところでは
鶯もごろごろ啼いてゐる
その透明な群青のうぐひすが
(ほんたうの鶯の方はドイツ読本の
ハンスがうぐひすでないよと云つた)

【現代語訳文】

振り返っても、もう誰も来ない。肩をすぼめたような小さな停車場と、新開地めいた飲食店。ゆがんだガラス障子、わらじ、サン・メイドの空箱、夏みかんの明るい香り。汽車を降りた人々は、丘陰の集落や繋の方へ消えていった。私は距離を測るように歩き、町外れの建物を後ろへ片づける。前には畑が開け、汗に濡れた二頭の黒馬が犁を引く。灰色の柔らかな山肌では、風に若葉がひるがえり、遠い暗がりから、透明な群青色の鶯の声が、ころころと転がってくる。



【原文】

馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
そしてずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき
ひとはふたりで赤い
雲に濾された日光のために
いよいよあかく灼けてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変つたとはいへそれは雪が往き
雲が展けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液がながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草
松木がをかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて

大へん陰欝にふるびて見える

【現代語訳文】

馬車は大きく揺れ、紳士を軽く跳ね上げながら、しだいに遠ざかってゆく。畑では二頭の馬と二人の働く人が、雲越しの日差しに赤く焼けている。冬に来たときとは、すべてが違って見える。雪が消え、雲が開き、土が息をし、木の幹や芽に樹液が流れ、青白い春が訪れたのだ。しかし驚くべきは、せわしく明滅する心の中で、移り変わる世界のただ中に、小岩井の野原や牧場が確かな姿を次々と現すことだ。以前は冷たく澄みすぎていた空気も、今日は枯草と緑褐色の松に覆われ、七つ森は古びて沈んで見える。