語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

「私の与太話」「食べ嫌い」

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我が家では、食事の好みが正反対です。私は骨の付いた魚が苦手。子どものころ、鯛の骨を喉に刺して大騒ぎになって以来、焼き魚を見るだけで肩に力が入ります。一方、家内は肉がまるで駄目。幼いころ、飼っていた鶏が首を絞めておかずになった日から、肉料理を見ると箸が止まるのです。



そのため結婚以来、食卓にはいつも二種類のおかずが並びました。私はハンバーグ、家内は煮魚。私は唐揚げを喜び、家内は冷ややっこを食べる。台所に立つ家内は、「まるで小料理屋を二軒やってるみたい」と笑いながらも、毎日せっせと作り分けてくれました。



ところが温泉旅館へ泊まると、不思議と都合が良いのです。夕食に舟盛りと牛鍋が並ぶと、私は肉を全部引き受け、家内は魚をきれいに平らげる。仲居さんには「まあ、好き嫌いのないご夫婦ですねぇ」と感心され、私たちは顔を見合わせて苦笑いしておりました。



先日も旅館で、仲居さんに「本当に仲の良いご夫婦ですね」と言われました。私は湯呑みを置き、しみじみ答えました。
「ええ。“食の住み分け”だけは、結婚以来ずっと円満なんです。」


42.日本おとぎ噺 「ねずみのすもう」

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ある日、山の中に住むおじいさんが山へ柴刈りに行くと、木陰の下で二匹のねずみがすもうをとっていました。よく見ると、一匹はやせ細っていてすぐに投げ飛ばされ、もう一匹は丸々と太ってとても強そうです。不思議に思ったおじいさんは、しばらく様子を見たあと家に戻ります。



その夜、おじいさんはおばあさんに山で見た出来事を話します。すると、おばあさんが「それはきっと、家にいるねずみだろう。あの子は最近やせているから」と言います。おじいさんたちは「かわいそうに、せめて力をつけさせてやろう」と、餅をついて、やせねずみに食べさせてやることにします。



次の日、また山へ行ってみると、前日と同じようにすもうが始まります。しかし、今日はやせていたねずみが餅の力で見違えるほど元気になっており、なんと太ったねずみを投げ飛ばして勝ってしまいます。太ったねずみは驚き、見ていたおじいさんも大喜びです。



家に帰ったおじいさんがそのことを話すと、おばあさんも大喜び。それからというもの、ねずみたちは何度もおじいさんの家にやってきては、お礼にお米や小判などを置いていくようになります。おじいさんとおばあさんは、ねずみたちとの温かな交流に幸せを感じ、静かな山の家で仲良く暮らしました。


18.『古典落語』「お見立て(おみたて)」

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江戸の色街・吉原通いに熱を上げていた若旦那・清三郎(きよさぶろう)。馴染みの花魁・花魁小糸(こいと)にぞっこんだったが、ある日ぱったりと会えなくなった。理由も告げられず、門前払いを食らうばかり。恋患いの若旦那は、日に日に痩せ細り、番頭やご隠居も心配顔。「このままじゃ病になりかねん」と頭を抱える。



見かねたご隠居は一計を案じ、「小糸に見立てた遊女」をあてがい、清三郎の未練を断たせようとする。事情を話すと、吉原の遣手婆(やりてばばあ)が快く引き受け、気立ての良い新米の女郎に声をかける。清三郎は半信半疑で再び吉原へ。灯篭の明かりが揺れるなか、用意された部屋に通される。



そこに現れたのは、小糸そっくり――いや、それ以上に艶やかで優しげな女。清三郎は驚きと戸惑いのなかで、「これは夢か幻か」と思いつつも心を奪われていく。「あなたのような方に会えて光栄です」と微笑む女に、清三郎の心は癒やされてゆく。そして彼はつぶやく。「小糸とは、もう逢わずとも良いかもしれぬ……」



やがて夜が更け、別れ際に女がポツリと呟く。「……ほんとうは、あたしが小糸なのさ」――なんと、見立てどころか“本物”の小糸だったのだ。気づかぬほどやつれていた清三郎に、直接は会えず心を痛めていた小糸が、名を伏せて再会を果たしたというわけ。涙ぐむ清三郎に、小糸はそっと手を重ねる。吉原の一室、そこに咲いたのは、粋と情の“見立て”の花であった――。


「私の与太話」「給食費」

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変わった話を聞いた。小学校の給食で「いただきます」「ごちそうさま」はおかしいと言う保護者がいるそうだ。「お金を払っているのに、なぜ礼を言うのか」という理屈らしい。なるほど、財布の中だけ見ればそう見えるのかもしれない。



けれど給食は、親の給食費だけでできているわけではない。公金も入り、調理員さん、配達の人、農家、漁師、酪農家、たくさんの手を通って届く。では、その人たちには「払ったから当然」と言って済ませるのだろうか。



それに、食べ物はもともと命である。米も野菜も魚も肉も、みな命を分けてくれている。だから昔から「いただきます」と言う。私は食堂の会計でも、財布を出しながら「ごちそうさま」と言う。金は払っても、感謝は別勘定だ。



子どものうちから、命や人の働きに手を合わせる心を持たせたい。礼を言う子は、食べ物を粗末にしにくい。お金を払えば礼はいらないと言うなら、家庭のしつけも領収書制にしたらよい。

――親への感謝だけ、未払いです。


41.日本おとぎ噺 「梨とり兄弟(なしとりきょうだい)」

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昔々、ある山里に貧しい兄弟が住んでいた。兄は欲深く、弟は心優しい働き者であった。ある年の秋、村の子供たちが「山の向こうに大きな梨の木がある」と話しているのを聞いた兄弟は、「梨を採って売れば、お金になる」と考え、山を越える決心をする。



山奥を進んだ兄弟は、やがて谷底にそびえる見事な梨の木を見つける。大きくて甘い実がたわわに実り、兄は夢中で梨をもぎはじめる。「これで金持ちだ!」と喜ぶ兄は、弟の忠告も聞かず、枝に乗って高い所の実まで採ろうとする。



すると突然、木が唸るような音を立てて揺れ、兄は空中に投げ出されて谷底に落ちてしまう。弟は驚き、急いで駆け下りるが、兄は梨の木に抱かれるように倒れていた。弟は兄を抱きしめ、「欲深さを悔い改めてください」と涙ながらに祈る。



やがて兄は目を覚まし、弟にすがって泣き出す。「もう欲ばったことはしない」と誓った兄。ふたりは少しの梨を分け合って持ち帰り、村の人々と共に食べたという。梨の甘さと兄の改心の話は、いつまでも語り継がれた。