よもやま文庫/語り継ぐこころ

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たち・私の与太話・古典小説のダイジェスト版と挿絵です。 文も挿絵もChatGPTが作っています。ちょんまげの描写が正しくできません。お許しを。

134.日本おとぎ噺 「芋ほり長者(いもほりちょうじゃ)」

100えんメガネ

むかし、貧しいけれど正直者の若者が村に住んでいました。畑も小さく、暮らしは苦しかったが、働き者で人に優しく、村人からも好かれていました。ある日、彼は畑の芋を掘ろうと鍬を手に、まだ朝露の残る畑に出かけました。ところが掘り出した芋は、ずるずると根が切れずに伸びていき、いくら掘っても終わらないのです。



若者は夢中になって芋を追いかけ、ついには畑の端を越え、野を越え、山を越えて掘り進んでいきます。やがて暗い穴にまで続いており、恐る恐る潜っていくと、そこは不思議な世界。金銀の器が並び、光り輝く宝の山が眠っていました。若者は驚きながらも、ほんの少しだけ芋を引き抜き、宝はそのままにして帰ってきました。



村に戻った若者は、掘り上げた芋を鍋で煮て皆に分け与えました。不思議なことに、その芋はどれだけ食べてもなくならず、村人たちを飢えから救いました。この話が広まると、欲深い隣の男が同じように芋掘りを試そうとしました。しかし彼は宝を見つけるやいなや、欲に駆られて抱えられるだけ持ち帰ろうとしたのです。その途端、穴は崩れ、宝は砂に変わって消えてしまいました。



こうして正直者の若者は「芋ほり長者」と呼ばれ、村の人々と共に仲良く暮らしました。一方、欲深い隣人は何も得られず、かえって笑い者になったのです。人々は「欲をかかず、正直に生きる者こそ本当の長者」と口々に語り継ぎました。芋は実りと恵みの象徴として、人々の心に深く残ったといいます。


『宮沢賢治の詩と心象風景』第六回「小岩井農場」3話 黒い外套の旅人/全12話

100えんメガネ

【原文】

とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して
すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる
そのふもとに白い笠の農夫が立ち
つくづくとそらのくもを見あげ
こんどはゆつくりあるきだす
(まるで行きつかれたたび人だ)
汽車の時間をたづねてみやう
こゝはぐちやぐちやした青い湿地で
もうせんごけも生えてゐる
(そのうすあかい毛もちゞれてゐるし
どこかのがまの生えた沼地を
ネー将軍麾下の騎兵の馬が
泥に一尺踏みこんで
すぱすぱ渉つて進軍もした)
雲は白いしひとはわたしをまつてゐる
もう待ちかねてあるきだす
トツパースの雨の高みから
けらを着た女の子がふたりくる
シベリヤ風に赤いきれをかぶり
まつすぐにいそいでやつてくる
(Miss Robin)だな働きにきてゐるのだな
農夫は富士見の飛脚のやうに
笠をかしげて立つて待ち
白い手甲もはめてゐる、もう二十米だから
しばらくあるきださないでくれ
じぶんだけせつかく待つてゐても
用がなくてはこまるとおもつて
あんなにぐらぐらゆれるのだ
(青い草穂は去年のだ)
あんなにぐらぐらゆれるのだ
空気もいゝし顔もすつかり見えるから
ここからはなしかけていゝ
シヤツポをとれ(黒い羅沙もぬれ)


【現代語訳文 】

鳶色の畑がなだらかに傾き、透きとおる雨粒に洗われている。麓には白い笠の農夫が立ち、空の雲をじっと見上げてから、疲れた旅人のように歩きだした。青い湿地にはモウセンゴケが生え、遠い戦場を渡る騎兵の影さえ浮かぶ。雨の中、赤い布をかぶり、蓑を着た少女が二人、働きに急いでくる。農夫は笠を傾け、白い手甲のまま私を待っている。風に草穂が揺れ、濡れた黒い帽子を取り、私はようやく声をかける。



【原文】

このひとはもう五十ぐらゐだ
(ちよつとお訊ぎ申しあんす
盛岡行ぎ汽車なん時だべす)
(三時だたべが)
ずゐぶん悲しい顔のひとだ
博物館の能面にも出てゐるし
どこかに鷹のきもちもある
うしろのつめたく白い空では
ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
雨をおとすその雲母摺りの雲の下
はたけに置かれた二台のくるま
このひとはもう行かうとする
白い種子は燕麦なのだ
(燕麦播ぎすか)
(あんいま向でやつてら)
この爺さんはなにか向ふを畏れてゐる
ひじやうに恐ろしくひどいことが
そつちにあるとおもつてゐる
そこには馬のつかない廐肥車と
けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり
こはがつてゐるのは
やつぱりあの蒼鉛の労働なのか
(こやし入れだのすか
堆肥ど過燐酸どすか)
(あんさうす)
(ずゐぶん気持のいゝ処だもな)
(ふう)


【現代語訳文 】

その人は、もう五十歳ほどだろう。盛岡行きの汽車の時刻を尋ねると、三時だろうと答えた。ひどく悲しげな顔で、能面のようでもあり、どこか鷹の鋭さも宿している。白く冷たい空では、本物の鷹が風を切って飛び、雨を落とす雲の下には二台の荷車が置かれている。燕麦をまくのか、肥料を入れるのかと話しかけても、老人は向こうにある何かを恐れている。灰色の雲と重い労働の先に、言葉にならない厳しさを見つめているのだ。



【原文】

この人はわたくしとはなすのを
なにか大へんはばかつてゐる
それはふたつのくるまのよこ
はたけのおはりの天末線
ぐらぐらの空のこつち側を
すこし猫背でせいの高い
くろい外套の男が
雨雲に銃を構へて立つてゐる
あの男がどこか気がへんで
急に鉄砲をこつちへ向けるのか
あるひは Miss Robin たちのことか
それとも両方いつしよだらうか
心配しないでくれたまへ
わたしはどつちもこわくない
やつてるやつてるそらでは鳥が
(あの鳥何て云ふす 此処らで)
(ぶどしぎ)
(ぶどしぎて云ふのか)
(あん 曇るづどよぐ出はら)
から松の芽の緑玉髄
かけて行く雲のこつちの射手は
またもつたいらしく銃を構へる
(三時の次あ何時だべす)
(五時だべが ゆぐ知らない)
過燐酸石灰のヅツク袋
水溶十九と書いてある
学校のは十五%だ
雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる
遠くのそらではそのぼとしぎどもが
大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
めざましく雨を飛んでゐる
少しばかり青いつめくさの交つた
かれくさと雨の雫の上に
菩提樹皮の厚いけらをかぶつて
さつきの娘たちがねむつてゐる
爺さんはもう向ふへ行き
射手は肩を怒らして銃を構へる
(ぼとしぎのつめたい発動機は……)
ぼとしぎはぶうぶう鳴り
いつたいなにを射たうといふのだ


【現代語訳文 】

老人は、私と話すことをひどくためらっている。畑の果て、揺れる空の手前には、猫背の背の高い男が黒い外套を着て、雨雲へ銃を構えていた。気の狂った男なのか、娘たちを警戒しているのか。私は恐れず、鳥の名や汽車の時刻を尋ねる。雨に濡れた肥料袋には「水溶十九」とあり、黄色い仕事着も重くなる。遠い空ではボトシギが瓶を吹くように鳴き、娘たちは蓑をかぶって草の上に眠る。老人は去り、射手だけが肩を怒らせる。いったい、何を撃とうというのだ。



【原文】

爺さんの行つた方から
わかい農夫がやつてくる
かほが赤くて新鮮にふとり
セシルローズ型の円い肩をかゞめ
燐酸のあき袋をあつめてくる
二つはちやんと肩に着てゐる
(降つてげだごとなさ)
(なあにすぐ霽れらんす)
火をたいてゐる
赤い焔もちらちらみえる
農夫も戻るしわたしもそつちへついて行かう
ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる
みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる
《うな いいおなごだもな》
にはかにそんなに大声にどなり
まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは
このひとは案外にわかいのだ
すきとほつて火が燃えてゐる
青い炭素のけむりも立つ
わたくしもすこしあたりたい
《おらも中つてもいがべが》
《いてす さあおあだりやんせ》
《汽車三時すか》
(三時四十分
まだ一時にもならないも)
火は雨でかへつて燃える
自由射手は銀のそら
ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす
すつかりぬれた 寒い がたがたする


【現代語訳文 】

老人の去った方から、赤い頬をした若い農夫が、丸い肩をかがめて肥料の空袋を集めながらやって来る。「もう雨は上がる」と笑い、焚き火の赤い炎へ戻っていく。眠っていた娘も起き上がり、雨の中に明るい笑顔を見せた。農夫は大声で娘をほめ、真っ赤になって石臼のように笑う。思ったより若い男なのだ。青い煙を上げる火に私もあたらせてもらう。汽車まではまだ長い。雨に濡れた火はかえって燃え、空では鳥が鳴き続ける。私はずぶ濡れで、寒さにがたがた震えている。


『粋の極み ・笑いの匠たち』55~57

100えんメガネ

55.隅田川馬石(すみだがわ ばせき)

生年月日 昭和44年 (1969年 ) 7月14日

没年月日 ご存命

2026年9月27日現在 :満57歳


隅田川馬石(すみだがわ ばせき、1969年7月14日生)は、兵庫県西脇市出身の落語家で、現在落語協会に所属する四代目名跡の継承者です。1991年に劇団「急旋回」に入団し、1993年に五街道雲助に入門。前座名「わたし」、二ツ目で「佐助」を名乗り、2007年に真打昇進・四代目「隅田川馬石」を襲名しました。独自の語り口と情感豊かな演目「中村仲蔵」で知られ、2012年文化庁芸術祭新人賞、2021年同大衆芸能部門大賞など受賞歴も豊富です。口元の大きなほくろが特徴で、義太夫への造詣も深く、観客を時間を忘れさせる“ロマンチックな落語”を目指しています 。



56.三遊亭朝橘(さんゆうてい ちょうきつ)

生年月日 昭和53年 (1978年 )10月8日

没年月日 ご存命

2026年9月27日現在 : 満47歳



三遊亭朝橘は、静岡県沼津市出身の現代落語家で、2005年に三遊亭圓橘(えんきつ)師匠に入門し、前座名「橘也(きつや)」を受けました。2008年に二ツ目へ、2017年には真打に昇進。伝統的な古典落語に加え、学校公演や企業イベントなどでの講演・余興活動にも積極的に取り組んでおり、多様な層に落語の魅力を伝えています。人情噺から時事ネタまで幅広く対応し、地域コミュニティへの関与も深い。地元沼津のみならず首都圏でも精力的に活動し、落語という伝統芸を現代に生かす姿勢が評価されています。



57.柳亭市場(りゅうてい いちば)

生年月日 昭和36年 (1961年 )12月6日

没年月日 ご存命

2026年9月27日現在 :満64歳


柳亭市馬(りゅうてい いちば、1961年12月6日 - )は、大分県豊後大野市緒方町出身の落語家。1980年に五代目柳家小さんに入門し、前座名「小幸」、二ツ目「さん好」を経て、1993年に真打昇進し四代目「柳亭市馬」を襲名。古典落語を軸に“正統派”の芸風で知られ、歌謡・浪曲・相撲甚句など音曲ネタも得意とし、「雑学王」と称されるほど噺の背景や由来に精通。2010年に落語協会理事、その後副会長、2014年から2024年まで11代会長を務めた。2025年には紫綬褒章を受章するなど、芸術文化に多大な貢献を果たしている。

「私の与太話」「キャベツ畑」

100えんメガネ

我が家の北側は、昔は牛の放牧地で、その後はキャベツ畑になった。のどかな景色で悪くはないのだが、夏前になると決まってトラックが来て、畑に牛糞堆肥をどっさりまいていく。すると私は、季節の風物詩というより、毎年の災難を思い出して身構えるのである。


(絵はイメージです。実際は何もない農地です。)


なぜなら、その後しばらくすると、どこからともなくハエが大発生し、まるで「今年も来ました」と言わんばかりに我が家へ押し寄せてくるからだ。食卓にも窓辺にも現れ、追っても追ってもきりがない。こちらはのんびり初夏を楽しむどころか、家じゅうで防衛戦の準備に入る。



ところが、ここ二、三年は土地改良だか砂利取りだかで畑の様子が変わり、あれほどの騒ぎはなかった。私はすっかり油断して、「もう平和になったのかもしれん」と思っていた。だが先日、久しぶりにトラックがやって来て、見覚えのあるものを畑へまき始めたのである。



その瞬間、来年の初夏の光景が頭に浮かんだ。網戸の点検、殺虫剤の買い置き、ハエたたきの配備――わが家は早くも迎撃態勢である。まだ一匹も飛んでいないのに、私の気分だけはすでに開戦前夜だ。どうやら来年、北側の畑はキャベツ畑ではなく、対ハエ前線基地になるらしい。


133.日本おとぎ噺 「天のはしご天の橋立(てんのはしごあまのはしだて)」

100えんメガネ

むかし、丹後の国に高い山と青い海を望む村があった。ある晩、天の国の神々が地上へ降りるため、空から長いはしごを垂らした。そのはしごは雲を貫き、海辺までまっすぐに伸びていた。村人たちは驚き、光り輝くはしごを見上げて「これは天と地を結ぶ道だ」と囁き合った。神々は夜ごとこのはしごを伝い、村人たちに稲作の知恵や薬草の用い方を教えたという。



やがて村の若者が、天の国を一目見たいと願い、勇気を出してはしごを登り始めた。夜露に濡れた縄のはしごはきらきらと輝き、空の高みへ続いている。村人たちは下から固唾をのんで見守った。若者は幾重にも重なる雲を抜け、ついに天の国の入り口へ辿りついた。そこには黄金色に輝く宮殿がそびえ、神々が舞を奉じていた。若者は天の酒を賜り、しばし楽の音に酔いしれた。



しかし、天の神々は「人の世の者が長く留まると、天地の均衡が崩れる」と告げた。若者は惜しみつつも、地上に帰ることを決めた。ところが、その帰り道、若者の体が重くなり、はしごは大きく揺れた。やがてはしごの一部が切れ、海辺へと落ちてしまった。天と地を結んだ道は失われ、村人たちはもう二度と天の国へ行くことができなくなった。



残されたはしごの破片は、白砂の浜辺に横たわり、やがて天橋立と呼ばれる長い砂州となった。村人たちはその姿を「神々が残した橋」として大切に語り継ぎ、訪れる者は天と地を結んだ神秘の跡を拝んだ。今も丹後の海に横たわる天橋立は、天のはしごの名残として、空と海と人の心を結び続けているのだという。