語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

92.日本おとぎ噺 「はなたれ小僧さま」

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昔々、ある村の貧しい百姓が山の奥で薪を刈っていると、小さなお地蔵さまがぽつんと立っていた。ただの石像かと思いきや、その鼻からは絶えず鼻水が垂れている。百姓は「これは珍しいお地蔵さんだ」と笑いながらも、丁寧に拭いてあげた。すると突然、お地蔵さまが目を開け、「ありがとう」とつぶやく。驚いた百姓だったが、感謝されたのが嬉しくて、また鼻を拭いてあげる。



お地蔵さまは「毎日鼻を拭いてくれたら、必ず福を授けよう」と言う。百姓はそれを信じ、毎日欠かさず通った。すると不思議なことに、薪は重ねても減らず、家には米や味噌が自然と増えていた。近所の者たちは「なんであんな貧乏百姓が急に豊かになったんだ?」と怪しみ始める。



その噂を聞きつけた欲深い隣の百姓が、「俺も拭いてやる!」とお地蔵さまのところへ出かける。しかし彼は、鼻を拭くどころか「福を寄こせ!」と無理やりお地蔵さまを家に担いで帰ってしまう。ところが家に着くと、お地蔵さまはずっしりと重くなり、地面に根を張ったように動かなくなる。しまいには鼻水がとめどなく噴き出し、家中が水浸しに。



結局、隣の百姓は懲りて地蔵を山に戻す。元の百姓は変わらず優しくお地蔵さまの鼻を拭き続け、末永く幸せに暮らしたという。村人たちもそれを見て、「欲張らず、素直な心が福を呼ぶんだな」と語り伝えた。


『宮沢賢治・光と風の物語』第十八回「ひかりの素足」第1話 雪山へ向かう一郎と楢夫/6話

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山小屋で目を覚ました一郎は、まだ眠る弟の楢夫を起こした。父は早朝から外で働き、冷えた小屋の火を何度も燃やしてくれていた。兄弟が外へ出ると、青空の下で雪山がまぶしく輝いていた。一郎は、霜焼けで赤くなった楢夫の冷たい手を両手で包み、優しく温めてやった。



朝食の前、山の頂から笛のような風の音が響いた。楢夫は突然泣き出し、「風の又三郎が、新しい着物を着せ、母さんが体を洗い、みんなで送っていくと言った」と話した。父は明るく笑って春の祝い事だとなだめたが、その顔は青ざめていた。一郎も胸騒ぎを覚えながら、弟を励ました。



昼過ぎ、父は兄弟に、炭を運ぶ馬方について家へ帰るよう言った。翌日は学校へ行かなければならなかったのである。父は「雪を食べるな」「母さんに鋸を届けるよう頼め」と言い聞かせ、二人を送り出した。機嫌を直した楢夫は雪道を跳ね、一郎は弟を守るように後ろから歩いた。



兄弟は途中で立ち話を始めた馬方より先に進み、峠へ向かった。空は次第に曇り、明るかった雪原も暗く寂しく見え始めた。坂道に疲れた楢夫を、一郎は「早く峠を越えよう」と励ます。そのとき、白い空から細かな雪が舞い落ちた。二人は胸騒ぎを覚えながら、足を速めた。


『粋の極み ・笑いの匠たち』37~39

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37.林家三平(初代)

生年月日大正13年(1924年) 11月30日

没年月日昭和55年(1980年) 9月20日

享年:55歳



初代・林家三平(はやしや さんぺい)は、昭和を代表する爆笑派の落語家であり、寄席やテレビで絶大な人気を誇った名人芸人です。本名は海老名修(えびな おさむ)。父は大正期の噺家・林家正蔵(八代目)、息子には林家正蔵(九代目)と林家三平(二代目)を持つ、落語一家の中心人物でもあります。明朗快活な語り口と「どうもすいません!」の名調子で、難解と思われがちな落語を大衆に広めました。テレビ番組『笑点』や数々のバラエティ番組にも出演し、落語界の枠を超えた存在として愛されました。若くして病に倒れましたが、その功績と笑いは今も語り継がれています。



38.林家彦六(8代目林家正蔵)

生年月日明治28年(1895年) 5月16日

没年月日昭和57年(1982年) 1月29日

享年:86歳



林家彦六(はやしや ひころく )本名:岡本 義(おかもと よし)は、東京・品川で生まれ、浅草で育ちました。1912年に二代目三遊亭三福に入門し、「福よし」として初舞台を踏み、その後、扇遊亭金八、橘家二三蔵、三代目三遊亭圓楽、五代目蝶花楼馬楽など多くの名跡を継ぎました。1950年には八代目林家正蔵を襲名し、晩年の1981年から亡くなる1982年まで「林家彦六」を名乗りました。芝居噺や怪談噺を得意とし、『淀五郎』『牡丹灯籠』などで高い評価を受け、紫綬褒章や芸術祭賞を受賞しました。その厳格な性格から「トンガリの正蔵」とも呼ばれ、弟子には林家木久扇や三遊亭好楽がいます。稲荷町の長屋に住み、庶民的な生活を貫いた名人でした。



39.林家たい平(はやしや たいへい)

生年月日昭和39年(1964年) 8月6日

没年月日 ご存命

本日(2026年8月16日)時点の年齢は61歳



林家たい平本名:田鹿 明(たじか あきら)さ んは、埼玉県秩父市出身の落語家で、明るく親しみやすい芸風で多くのファンを魅了しています。武蔵野美術大学を卒業後、昭和63年(1988年)に林家こん平師匠に入門し、平成4年(1992年)に二ツ目、平成12年(2000年)に真打に昇進されました。テレビ番組『笑点』の大喜利メンバーとしても知られ、全国各地で独演会を開催するなど、精力的に活動されています。また、武蔵野美術大学の客員教授として教育にも携わり、YouTubeチャンネルでの情報発信など、多方面で活躍中です。地元・秩父への愛着も深く、観光大使として地域振興にも貢献されています。

「私の与太話」「車線」

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私は車を運転していて、どうにも気になることがあります。やたらと道路の左端をなぞるように走る車です。昔の「キープレフト」の名残かもしれませんが、今は中央車線があります。車線の中央を走れば安全なのに、左からの自転車や飛び出しが心配にならないのだろうかと、つい考えてしまいます。

ある日も前の車がずっと左寄り。しかも速度は控えめです。私は車間距離を保ちながら後ろを走り、「そんなに左へ寄らなくても…」と思っていました。道路は十分広く、車線の中央を走ったほうが周囲も見やすそうに思えました。

さらに交差点へ近づくと、その車は右折するのに、なぜか左へ大きく寄りました。大型トラックならともかく普通乗用車です。後ろには車が何台も連なり、右折待ちで流れが止まります。「少し気を遣えば、左側が空いてみんなもっとスムーズに進めるのになあ」と私はため息をつきました。

信号を抜けてようやく流れ出した頃、家内がぽつりと言いました。

「あなたも運転中、前の車の動きばかり気にしてるわね」

私はハッとして答えました。

「なるほど……私も車線の中央は走れても、気持ちはいつも他人の車線にはみ出していたようです。」

91.日本おとぎ噺 「みそ買い橋(みそかいばし)」

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江戸のある町に、気立ての良い娘が嫁いだ。娘の婿(むこ)はまじめな男で、いつも「何事も正しく」と心がけていた。ある日、姑(しゅうとめ)から「みそを買ってきておくれ」と言いつけられ、婿は手に壺(つぼ)を持って出かけていった。ところが、行きがけの橋の上で、ふと不安になる。「みその銘柄(めいがら)や量を聞き忘れた」と。



婿は考えに考え、「勝手に買って帰って間違っていたら、嫁の恥になる」と思いつめる。みその種類、赤か白か、粒かすりか、量は一升か半升か……決められぬまま、橋の上で立ち尽くす。通りかかった近所の者が「どうした?」と尋ねても、婿は「いや、ちょっと」と笑ってごまかすだけ。日が傾く頃には、壺を下げたまま何時間も橋にいる始末。



家に戻らない婿を心配した嫁が橋まで迎えにくると、そこには、ぐったりした表情で壺を持った婿がいた。嫁が声をかけると、「聞き忘れたから買えなかった」と小さく答える。嫁はくすっと笑い、「うちはいつも赤味噌よ」と教える。その様子を見ていた近所の人たちは、「あれが“みそ買い橋”の話か」と、江戸の笑い話として語り始めた。



それからというもの、その橋は「みそ買い橋」と呼ばれるようになった。真面目すぎる婿が、たった一言を聞き忘れたばかりに一日中立ち尽くした話は、江戸っ子たちにとって心和む笑い話となり、今もなお語り継がれている。