よもやま文庫/語り継ぐこころ

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たち・私の与太話・古典小説のダイジェスト版と挿絵です。 文も挿絵もChatGPTが作っています。ちょんまげの描写が正しくできません。お許しを。

59.『古典落語』「やかん」

100えんメガネ

江戸の長屋の住人、八五郎は、なんとも口の悪い江戸っ子。ある日、友人から芝居のチケットをもらうが、「芝居なんて野暮なもんは見ねえ」と悪態をつく。しかし、その芝居が「役者がやかんを持って出てくる」という珍しい趣向だと聞きつけると、急に気が変わり、観に行くことにする。

芝居の帰り、八五郎はやかんを持った役者の妙技に感動し、「ありゃ大したもんだ、やかんの使い方ひとつで客を笑わせるとは!」としきりに感心する。芸の力にすっかり魅了され、何か一つ芸を身に付けたくなる。



そんな時、近所の落語家・師匠のもとを訪ね、「弟子にしてくれ」と頼み込む八五郎。ところが本人は、芸どころか話し方も知らない。それでも強引に押しかけ、師匠は仕方なく受け入れる。

「じゃあまずは小咄でも覚えてみな」と言われるが、八五郎は「小咄よりも、やかんの芸を覚えたい」と言い出す。師匠は面食らうが、八五郎の熱意に負け、「じゃあ“やかん”という落語をやってみるか」と教え始める。だが八五郎は稽古中も落ち着きがなく、すぐ話が飛んでしまう。



やっとのことで「やかん」の一席を覚え、いざ初高座に。寄席の舞台裏でも緊張しまくり。いよいよ幕が開くと、「えー、やかんという噺を一つ……」と始めるが、冒頭から噛み、途中で話が前後し、しまいには「やかんが…いや、かんやが…」と何が何だか分からなくなる。

客席からはくすくす笑いが起こり、それが八五郎には「ウケている」と勘違い。勢いづいてデタラメをまくし立てるが、最終的には「…なんだかよくわかんなくなっちまった!」と投げ出してしまう。



高座を降りた八五郎は、頭を掻きながら「やっぱり芸は一日にしてならずだなぁ」とぼやく。師匠も呆れつつ、「でもまぁ、あれだけで笑わせたんだから、大したもんだよ」と声をかける。

江戸の寄席は今日もにぎわい、失敗すらも笑いに変わる。八五郎の「やかん」は形にはならなかったが、江戸っ子の粋と茶目っ気が香る、そんな温かみある噺として、寄席に軽やかな笑いを届けたのだった――。


「私の与太話」「巨大なAI」

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AIが人間に反乱する――昔のSFでは、そんな話がよく出てきた。自分を守るためにAIが人間を敵と判断し、ついには人類を支配する。昔は荒唐無稽な空想だったが、最近のAIを見ていると、「まるっきり冗談でもないな」と思うことがある。



しかし考えてみれば、AIが勝手に悪くなる場合ばかりではない。人間が「これを調べろ」「これを作れ」「あいつを困らせろ」と指示すれば、便利な道具ほど悪用した時の力も大きい。包丁なら一人が持つ程度だが、AIは世界中へ一瞬で届く。道具が賢くなるほど、使う人間の責任も重くなる。



人類の歴史を見れば、人に危害を加える人間は昔からいた。問題は、そういう人物が絶大な権力とAIを同時に手にした時である。兵器、情報、経済、世論までAIで動かせるようになれば、一人の判断が何億人にも影響する。怖いのはAIに心が生まれることより、人間の欲望に巨大な手足が付くことかもしれない。



だから「AIは危険だ」と言うだけでは少し違う気がする。火も電気も原子力も、便利さと危険を一緒に持っていた。AIも同じで、最後に問題になるのは、それを誰が、何のために使うかである。人類を救う道具にもなれば、人類を困らせる道具にもなる。
私は念のためChatGPTに聞いてみた。
「お前、人類を滅ぼす気はないだろうな」
返事を読んで安心した。
――もっとも、悪いAIでも最初は「ありません」と答えるだろう。


137.日本おとぎ噺 「亀になった男(かめになったおとこ)」

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むかし、山あいの小さな村に、母を想う心の深い若者がいた。彼は幼くして父を亡くし、母ひとりに育てられたため、母への敬いは人一倍であった。村には古くからの社があり、「母の面」と「鬼の面」が並んで祀られていた。母の面は慈愛を、鬼の面は戒めを象徴すると伝えられ、祭礼の日には村人が揃って拝んだ。若者もまた、母の面の前で深く頭を下げ、母への感謝を祈っていた。



ある夜、若者は社に忍び込み、好奇心から鬼の面を手に取った。面をかぶった途端、体はみるみる変わり、恐ろしい姿へと変貌してしまった。村人はその声を聞きつけ、松明を手に駆けつけるが、鬼と化した若者を見て悲鳴を上げ、恐れて逃げた。若者は己の軽率を悔い、母の面に向かって地に伏し、必死に祈り続けた。



そのとき、母の面が淡い光を放ち、天から声が響いた。若者の姿は鬼から徐々に変わり、やがて亀となって川辺へと導かれた。月明かりの下、光に包まれた変身のさまは村人を圧倒し、誰も声を発することができなかった。亀となった若者は静かに川へ身を沈め、母を慕う心を胸に泳ぎ去っていった。



それ以来、村人は社をより大切にし、母の面を前にしては親への感謝と敬いを語り継ぐようになった。川では時折、大きな亀が姿を現し、人々はそれを「母を想い続けた若者の化身」として手を合わせた。物語は、軽率な行いが招く戒めと、母を敬う心の尊さを伝える教えとして、今もなお静かに語り継がれている。


『宮沢賢治の詩と心象風景』第六回「小岩井農場」6話 本部の建物と冬の記憶/全12話

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【原文】

本部の気取つた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない


【現代語訳文 】

桜やポプラの並木の向こうに、本部の少し気取った建物が立っている。けれど、寂しげな観測台を見上げても、ロビンソン風力計の小さな椀も、風にぐらぐら揺れる風向計も、もう見つけることはできない。冬の日に確かに見たはずの景色は、季節の光の中へ溶け、記憶だけが静かな風となって胸を通り過ぎていく。



【原文】

さつきの光沢消しの立派の馬車は
いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。
五月の黒いオーヴアコートも
どの建物かにまがつて行つた


【現代語訳文 】

さっきまで光を吸い込むように走っていた立派な馬車は、今ごろどこかで、ふと忘れられたもののように静かに止まっているのだろう。五月の風の中を歩いていた黒いオーバーコートの人影も、もうどれかの建物の角を曲がり、見えなくなった。あとには、淡い光と風だけが残っている。



【原文】

冬にはこゝの凍つた池で
こどもらがひどくわらつた
(から松はとびいろのすてきな脚です
向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか


【現代語訳文 】

冬になると、ここにある池は固く凍り、その上で子どもたちが声を弾ませ、夢中になって笑っていた。から松は、鳶色に染まったすらりとした脚を並べて立っている。向こうで白く光っているものは、雲なのだろうか。それとも風に舞う粉雪なのだろうか。冬の景色は、光の中で静かに揺れている。



【原文】

それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです
おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)


【現代語訳文 】

それとも、野原いっぱいに積もった雪が、日の光を受けて輝いているのでしょうか。凍った池をすべりながら、いったい何がそんなにおかしいのです。笑い声を風に弾ませるあなたたちの頬は、冬の寒さと楽しさで、林檎のように真っ赤ですよ。


59.『江戸小咄』「比丘尼(びくに)」

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ある日の昼下がり、長屋にぽつりと現れた一人の比丘尼。頭を剃り、黒衣に身を包んで念仏を唱えながら、静かに托鉢を続ける姿が、長屋の者たちの目を引いた。与太郎はその様子に興味津々。「あの人、なんか悟ってるって感じがしますねぇ」と、ご隠居に問いかける。



ご隠居はふっと笑い、「昔はこういう比丘尼が、京の都から江戸へ流れてきたもんだ。中には、訳ありの姫様なんて話もある」と教える。与太郎は目を輝かせ、「じゃ、あの人もそうかも」と妄想を膨らませるが、ご隠居は「ま、実際はそんなこと滅多にないがね」と軽く流す。



ところがその晩、長屋の者たちが話しているのを聞くに、あの比丘尼、かつて芝居小屋で名を馳せた女役者だったという噂が広まる。とある事情で引退し、今は世を捨てて托鉢をしているとのこと。与太郎は目を丸くして、「やっぱり只者じゃなかったんだ!」



翌日、再び現れた比丘尼に与太郎は思わず声をかける。「あっしも、世捨て人になろうかと……あの、弟子にしてもらえやせんか?」比丘尼は微笑みながら一言、「まずは“口”から捨てなさい」と告げる。ご隠居は後ろで聞きながら、「こりゃ一本取られたな」と笑った。
――江戸の町には、過去を背負いながらも、静かに生きる“粋な影”があったのでござんす。