よもやま文庫/語り継ぐこころ

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たち・私の与太話・古典小説のダイジェスト版と挿絵です。 文も挿絵もChatGPTが作っています。ちょんまげの描写が正しくできません。お許しを。

「私の与太話」「医療費」

100えんメガネ

今日、ジムで雑談をしていると、一人が「医療費が二割負担になっちゃったよ。今までの倍だ」とこぼした。私は「そうだよね」とだけ答えた。聞けば、その人は七十五歳を過ぎてもまだ働いているらしい。元気で働けるのは結構なことだが、収入があるため負担が増えたようだ。



私はもう働いていないので、収入といえば年金が中心。そのため医療費は一割負担で済んでいる。「あなたは働いて収入が多いからですよ」と言いかけたが、慌てて飲み込んだ。そんなことを言っても慰めにはならない。せっかく元気に働いているのに、病院では支払いが増える。何とも皮肉な話である。



考えてみれば、年を取っても働けば収入が増える。しかし収入が増えれば、税金や保険料、医療費の負担も変わることがある。「働けるうちは働きなさい」と言われ、一生懸命働いたら「では少し多く負担してください」となる。もちろん制度には理由がある。それでも本人からすれば、少々複雑な気分だろう。



私は「七十五を過ぎても働いているんだから、大したものだよ」と言った。その人も「まあ、家にいても暇だからな」と笑った。結局、元気で働けること自体はありがたい。ただ私は心の中で思った。働けば二割、働かなければ一割――さて、どちらが得か。もっとも私はもう決めている。医療費一割を守るためではない。働く方が疲れるからである。


135.日本おとぎ噺 「蛙の恩返し(かえるのおんがえし)」

100えんメガネ

昔、村はずれの田んぼに一人の若者が住んでいた。ある日、畦道を歩いていると、溝に落ちて動けなくなっている一匹の蛙を見つけた。若者はその蛙を手に取り、優しく水辺に戻してやった。蛙はじっと彼を見つめると、まるで頭を下げるようにしてから池へと消えていった。若者は「ただの小さな命助け」と気にも留めなかった。



しばらくして、若者の家に美しい娘が訪ねてきた。娘は「私はこの家に恩を返しに来た」と告げる。不思議に思う若者に、娘は実は助けられた蛙の化身であることを明かした。驚きながらも、若者は娘の誠実な眼差しに心を打たれ、やがて共に暮らすことになる。娘は働き者で、田畑を守り、家を整え、近所の人々にも慕われるようになった。若者は次第に幸せを実感していく。



しかし、ある日、村の衆が不思議に思い、若者に「どうして急に立派な暮らしになったのか」と問いただした。若者は口止めをされていたのに、つい「実は蛙が娘になって恩返しをしてくれている」と話してしまった。噂は広まり、娘の耳にも届く。娘は悲しげに微笑み、「人に知られてしまったから、もう一緒にはいられません」と言い残した。その姿は見る間に蛙の姿へ戻り、池の中へと消えていった。



若者は後悔に打ちひしがれ、池のほとりで娘を呼び続けたが、二度と姿を見ることはなかった。それでも、田畑は不思議と豊かさを保ち、若者は娘の労苦と愛情が土地に宿ったのだと信じ、感謝を忘れずに生涯を過ごした。村人はその話を「蛙の恩返し」と語り伝え、人の情けが巡り巡って大きな幸せを生むのだと教えとしたのである。


『宮沢賢治の詩と心象風景』第六回「小岩井農場」4話 鳥の学校と農場の入口/全12話

100えんメガネ

【原文】

もう入口だ小岩井農場
(いつものとほりだ)
混んだ野ばらやあけびのやぶ
もの売りきのことりお断り申し候
(いつものとほりだ ぢき医院もある)
禁猟区 ふん いつものとほりだ。
小さな沢と青い木だち
沢では水が暗くそして鈍つてゐる
また鉄ゼルの青い蛍光
向ふの畑には白樺もある
白樺は好摩からむかふですなと
いつかおれは羽田県視学に言つてゐた
ここらはよつぽど高いから
やつぱり好摩にあたるのだ


【現代語訳文 】

もう小岩井農場の入口だ。
――いつもと同じだ。
野ばらやあけびの藪が茂り、
「物売り、きのこ採り、小鳥捕り、お断り」の札が立つ。
禁猟区。何もかも、いつもどおりだ。
小さな沢には暗く鈍い水が流れ、
青い木立の奥で鉄の柵が蛍光のように光る。
向こうの畑には白樺が立っている。
ここは高原だから、好摩のあたりと同じなのだろう。
かつて私は、そう県の視学官に話したことがあった。



【原文】

いったいどうだこの鳥の声
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の学校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
あの木のしんにも一ぴきゐる


【現代語訳文 】

いったい何だ、この鳥たちの声は。
数えきれないほどの鳥が、あたり一面で鳴いている。
まるで鳥の学校へ迷い込んだようだ。
声は雨のように降りそそぎ、
地面から湧き上がるように重なってくる。
いる、いる、木にも藪にも鳥ばかり。
なんという数だ。鳴く、鳴く、鳴きつづける。
気まぐれな輪舞曲のように、
ぎゅっく、ぎゅっく、ぎゅっく、ぎゅっく。
ほら、あの木の芯にも一羽いる。



【原文】

禁猟区のためだ 飛びあがる
(禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく)
一ぴきでない ひとむれだ
十疋以上だ 弧をつくる
(ぎゆつく ぎゆつく)
三またの槍の穂 弧をつくる
青びかり青びかり赤楊の木立


【現代語訳文 】

禁猟区だからだろうか、鳥たちがいっせいに飛び立つ。
――いや、禁猟区だからではない。
ぎゅっく、ぎゅっく。
一羽ではない。ひと群れだ。
十羽をこえる鳥が、空に大きな弧を描いてゆく。
ぎゅっく、ぎゅっく。
三つ又の槍の穂先のような翼が、
鋭く連なり、青空を切って弧をつくる。
その下では、赤楊の木立が
青く、青く、不思議な光を放っている。



【原文】

のぼせるくらゐだこの鳥の声
(その音がぼつとひくくなる
うしろになつてしまつたのだ
あるひはちゆういのりずむのため
両方ともだ とりのこゑ)


【現代語訳文 】

のぼせてしまいそうなほど、鳥の声が満ちている。
その響きが、ふっと低くなった。
鳥たちが、もう後ろへ遠ざかったからだろうか。
それとも、こちらの注意のリズムが変わり、
耳に届く音の高さまで揺れたのだろうか。
たぶん、その両方なのだ。
遠ざかりながら、なお重なり合う鳥の声。
空気の奥で、低く、かすかに鳴りつづけている。


58.『江戸小咄』「朝鮮人(ちょうせんじん)」

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ある日、江戸の町に「朝鮮人の一行が来るらしい」との噂が立った。長屋の与太郎は、初めて聞く異国の名に興味津々。「朝鮮てぇのは、唐の向こうか? 人の背ぇにも文字が書いてあるって話だぜ」と言えば、ご隠居がにやりと笑って、「お前さん、それは絵草紙の読みすぎだ」とたしなめる。



いよいよその日、町は見物人で賑わい、通りは提灯や幟で華やかに飾られた。与太郎も鼻息荒く駆けつけ、群衆の隙間から覗くと、きらびやかな衣装をまとった使節団が悠然と行進してくる。赤や青の異国風の衣、笠のかたちも見慣れぬもの。与太郎は感嘆し、「おお、これが異国の“通人”かぁ」と呟く。



だがその晩、長屋で与太郎は「朝鮮人を真似てやろう」と奇妙な格好で現れる。赤い風呂敷を頭に巻き、物干し竿を杖にして歩きながら、片言で「カムサハムニダ~」などと口走る。これには皆腹を抱えて大笑い。ご隠居も「その“朝鮮”、どう見ても“茶番”じゃねぇか」とあきれ顔。



翌日、ご隠居がぽつりと言う。「見た目に惑わされるな。異国の人も、町人も、心根はたいして変わりゃしねぇ。敬うべきは姿じゃなく、志ってもんさ」。与太郎はしばし考え、「じゃ、俺も“江戸の使節”として、長屋を盛り上げましょうかね」と笑う――
――江戸の町では、笑いの中にも、異文化を受け入れる“粋”が息づいていたのでござんす。


「私の与太話」「略語 」

100えんメガネ

この頃、新聞でもテレビでも、聞いたことのない略語が平気で出てくる。アタオカだの、エモいだの、何だのと、まるで暗号合戦だ。こちらは日本語を読んでいるつもりなのに、気がつくと外国語の試験でも受けている気分になる。年を取ったせいかと思ったが、どうやら若い者同士でも、意味を分からず使っているらしい。



もともと仲間内だけで通じる言葉なら、それはそれでよい。学生の隠語も、職人の符丁も、昔からあった。ところが今は、その内輪言葉をマスコミまでが得意げに取り上げる。「いま若者に大流行」などと言われても、流行っているのは言葉より、分かったふりをする顔の方ではないかと思えてくる。



先日、孫に向かって「最近の略語は困る」とこぼしたら、笑いながら「おじいちゃんだって略語を使ってるよ」と言われた。NHK、ATM、USB、LED――言われてみれば、こちらもずいぶん平気な顔で並べている。昔の人から見れば、これだって十分にわけのわからぬ言葉だったに違いない。



なるほど、言葉というものは、仲間内で生まれ、便利だから広まり、しまいには誰も不思議と思わなくなるらしい。そう考えると、腹も少しは立たなくなる。とはいえ、意味も知らずに得意顔で使うのはごめんである。そこで私も一つ、新しい略語を考えた。「WW」――“わからん・わからん”である。