よもやま文庫/語り継ぐこころ

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たち・私の与太話・古典小説のダイジェスト版と挿絵です。 文も挿絵もChatGPTが作っています。ちょんまげの描写が正しくできません。お許しを。

「私の与太話」「草刈り 」

100えんメガネ

先日、地区の草刈りに出た。私はエンジン付きの草刈り機を持っているので、皆より三十分ほど早く家を出た。こういう時くらいは役に立たねばと思ったのである。ところが、肩に掛けた途端、いつもの機械が妙に重い。「こんなに重かったかな」と思いながらも、格好だけは一人前。若い人より先に草を刈ってやろうと、張り切ってエンジンをかけた。



刈り始めてしばらくすると、腰が痛くなってきた。少し休めば治るだろうと思ったが、立ち上がるたびにまた痛む。家の周りなら、疲れれば椅子に座り、お茶でも飲んで、気が向いたらまた始めればよい。ところが地区の共同作業では、皆が黙々と刈っている。自分だけ休んでいるわけにもいかない。草刈り機は、時間がたつほど重くなるような気がした。



とうとう腰が言うことを聞かなくなり、近くにいた若い人に「悪いけど、ちょっと代わってくれんか」と頼んだ。若い人は「いいですよ」と軽々と機械を受け取り、そのまま何事もなかったように刈り始めた。私は横で腰を伸ばしながら、その姿を眺めていた。同じ機械なのに、さっきまで私には鉄の塊だったものが、若い人の手に渡った途端、羽のように見えた。



家へ帰ってから考えた。家の周りの草刈りなら、休み休み自分のペースでまだできる。しかし共同作業となれば、皆についていかなければならない。どうやら「できる」と「ついていける」は別物らしい。来年から地区の草刈りは辞退しようと決めた。もっとも草刈り機は捨てない。家ではまだ現役である。
ただし、人間のほうは、そろそろ充電式に替えたい。


136.日本おとぎ噺 「母の面と鬼の面(ははのめんとおにのめん)」

100えんメガネ

昔、ある村に親孝行な若者がいた。幼い頃に母を亡くし、形見として残された「母の面(おもて)」を大切に抱いて暮らしていた。その面は、母の優しい顔を写し取ったように穏やかで、若者は寂しくなるとその面を手に涙をこぼした。村の人々も「本当に母思いの息子だ」と感心するほどであった。



ところがある時、鬼が現れて村を荒らすようになった。人々は恐れおののき、若者のもとへ「どうか鬼を退治してくれ」と願い出る。若者は勇気を奮い立たせ、母の面を懐に忍ばせて山へ向かった。夜の山中で鬼に出会い、若者は震える心を抑え「母上、どうかお守りください」と祈った。すると、不思議なことに母の面からかすかな光がこぼれた。



光を浴びた鬼はたちまち動きを止め、苦しみながら後ずさりした。母の面には慈悲の力が宿っていたのだ。鬼は「眩しい…!」と叫び、やがて地に伏して動かなくなった。若者は驚きつつも、母の愛が自分を護ったのだと悟り、涙を流して手を合わせた。村に戻ると、人々は鬼のいなくなったことに安堵し、若者の勇気と母の面の霊験を称えた。



その後、母の面は村の社に祀られることとなった。人々は「母の愛は死してなお子を護る」と語り継ぎ、面の前で祈る者は災いを免れると信じられるようになった。若者も村人も、母の面を仰ぎ見るたび、慈しみの心を忘れぬよう努めたという。こうして「母の面と鬼の面」の話は、親子の情と母の力を伝える教えとして今に残っている。


『宮沢賢治の詩と心象風景』第六回「小岩井農場」5話 老馬と桜並木の荷馬車/全12話

100えんメガネ

【原文】

木立がいつか並樹になつた
この設計は飾絵式だ
けれども偶然だからしかたない
荷馬車がたしか三台とまつてゐる
生な松の丸太がいつぱいにつまれ
陽がいつかこつそりおりてきて
あたらしいテレピン油の蒸気圧
一台だけがあるいてゐる
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめつた黒い腐植質と
石竹いろの花のかけら
さくらの並樹になつたのだ
こんなしづかなめまぐるしさ


【現代語訳文 】

木立は、いつの間にか整った並木になっている。まるで飾り絵のような配置だが、偶然なのだからしかたがない。道には荷馬車が三台ほど止まり、切ったばかりの松の丸太をいっぱいに積んでいる。そこへ陽の光がそっと降り、新しい松脂の香りが蒸気のように立ちのぼる。一台だけが静かに進んでゆく。地面に落ちる色は木や枝の影ではない。湿った黒い腐葉土と、なでしこ色の花びら。それらが重なり、道は桜の並木へ変わってゆく。なんと静かで、目まぐるしい景色だろう。



【原文】

この荷馬車にはひとがついてゐない
馬は払ひ下げの立派なハツクニー
脚のゆれるのは年老つたため
(おい ヘングスト しつかりしろよ
三日月みたいな眼つきをして
おまけになみだがいつぱいで
陰気にあたまを下げてゐられると
おれはまつたくたまらないのだ
威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……


【現代語訳文 】

この荷馬車には、誰も付き添っていない。馬は払い下げられた立派なハクニーだが、年老いたために脚が揺れている。

おい、ヘングスト、しっかりしろ。三日月のような目をして、涙をいっぱい浮かべ、暗くうなだれていられると、こちらまでたまらなくなる。もっと威勢よく、桃色の舌をかみ、ふっと鼻を鳴らしてみろ。

馬の目の中には、きっと複雑なレンズがあるのだろう。だから景色も、人も、涙ににじみ、少しゆがんで見えるのだ。



【原文】

……馬車挽きはみんなといつしよに
向ふのどてのかれ草に
腰をおろしてやすんでゐる
三人赤くわらつてこつちをみ
また一人は大股にどてのなかをあるき
なにか忘れものでももつてくるといふ風……
(蜂函の白ペンキ)


【現代語訳文 】

荷馬車を引く人たちは、みんなそろって向こうの土手へ行き、枯れ草の上に腰を下ろして休んでいる。三人は日に焼けた顔で笑いながら、こちらを見ている。もう一人は大股で土手の中を歩き、何か忘れ物でも取りに戻るようだ。そんな人々の動きの向こうに、蜂の巣箱へ塗られた白いペンキが、春の光を受けて静かに浮かんでいる。



【原文】

桜の木には天狗巣病がたくさんある
天狗巣ははやくも青い葉をだし
馬車のラツパがきこえてくれば
ここが一ぺんにスヰツツルになる
遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは
(騎手はわらひ)赤銅の人馬の徽章だ


【現代語訳文 】

桜の木には、天狗巣病の枝がいくつもかたまり、そこだけ早くも青い葉をひらいている。やがて馬車のラッパが聞こえてくれば、この場所はたちまちスイスの高原のようになる。遠くでは鷹が空を鋭く切り、カラマツの若芽はネクタイピンにしたいほど美しい。いま向こうの並木を、青い光のように駆け抜けたもの――笑う騎手と赤銅色の馬は、まるで胸に輝く人馬の徽章そのものだった。


58.『古典落語』「目薬(めぐすり)」

100えんメガネ

江戸の町、長屋に住む八五郎。ある日、知り合いの男が「目に障子の桟(さん)が刺さって腫れた」と話しているのを耳にし、「それは気の毒だ、医者に診てもらえ」と親切に忠告。だが男は「高いし、時間もかかる」と渋る。そこで八五郎、「あっしが代わりに薬をもらってきやしょう」と張り切って出かける。



八五郎は町の薬種屋に赴き、「目に桟が刺さって腫れたんで、薬を一つ」と伝える。ところが店の者は「そんな症状の薬はない」と困惑。押し問答の末、薬屋はとりあえず「目薬」を渡すが、「使い方はご本人に伝えてください」と念を押す。八五郎は納得したふりをして持ち帰るが、もちろん使い方など覚えていない。



帰宅した八五郎、男に薬を渡し、「目薬ってのは、目ん中に垂らすもんだそうだ」と勝手に説明。「ええっ! そんな怖いことできねえ!」と男は大慌て。すると八五郎、「大丈夫、俺がやってやらァ」と得意げに構える。目を無理やり開かせ、こぼれんばかりの薬を豪快に注ぐと、男は「痛ぇーっ!」と大騒ぎ。「目ぇに火が入ったようだ!」と転げ回る。



周囲の騒ぎを聞きつけて大家や近所の者が集まり、「何事だ、火事か」と大慌て。八五郎はしれっと、「目に火が入ったんじゃなくて、目薬入れたんです」と言い訳。結局、男の目はただの軽い腫れで済んでいたが、八五郎の早とちりと強引な手助けで、無用の大騒動に。江戸の長屋には、こんな素人医者がひとりはいた――滑稽と人情が交錯する、江戸町人の笑い話であった。


「私の与太話」「医療費」

100えんメガネ

今日、ジムで雑談をしていると、一人が「医療費が二割負担になっちゃったよ。今までの倍だ」とこぼした。私は「そうだよね」とだけ答えた。聞けば、その人は七十五歳を過ぎてもまだ働いているらしい。元気で働けるのは結構なことだが、収入があるため負担が増えたようだ。



私はもう働いていないので、収入といえば年金が中心。そのため医療費は一割負担で済んでいる。「あなたは働いて収入が多いからですよ」と言いかけたが、慌てて飲み込んだ。そんなことを言っても慰めにはならない。せっかく元気に働いているのに、病院では支払いが増える。何とも皮肉な話である。



考えてみれば、年を取っても働けば収入が増える。しかし収入が増えれば、税金や保険料、医療費の負担も変わることがある。「働けるうちは働きなさい」と言われ、一生懸命働いたら「では少し多く負担してください」となる。もちろん制度には理由がある。それでも本人からすれば、少々複雑な気分だろう。



私は「七十五を過ぎても働いているんだから、大したものだよ」と言った。その人も「まあ、家にいても暇だからな」と笑った。結局、元気で働けること自体はありがたい。ただ私は心の中で思った。働けば二割、働かなければ一割――さて、どちらが得か。もっとも私はもう決めている。医療費一割を守るためではない。働く方が疲れるからである。