語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

22.日本おとぎ噺 「塩ふきうす」

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昔々、あるところに仲の良い兄弟が住んでいました。しかし、あるとき兄は欲深くなり、弟の持ち物を取り上げ、弟を家から追い出してしまいました。弟は何も持たずに、貧しい生活を余儀なくされますが、心の優しい男でした。

ある日、弟は山で困っている老人を助けました。老人はそのお礼に「塩をふき出す不思議なうす」をくれました。そのうすは、使い方をきちんと守れば、塩だけでなく、欲しい物を何でも出してくれる魔法の道具だったのです。弟はそのうすを使い、質素ながらも幸せな生活を送るようになります。

うわさを聞きつけた兄が弟の家を訪ねてきて、無理やりうすを奪い取ってしまいます。ところが、兄は使い方を知らず、うすに「塩を出せ」と命じたものの、止め方が分からず、うすはどんどん塩を出し続けます。慌てた兄は、うすを持ったまま船に乗り、海に逃げ出しますが、船は塩でいっぱいになり、ついに沈んでしまいます。

こうして兄は自業自得の末に海に沈み、魔法のうすも海の底へ。それからというもの、海の水はしょっぱくなったと言い伝えられています。弟は再び静かな生活に戻り、人々に感謝されながら暮らしました。

『粋の極み ・笑いの匠たち』7~9

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7.桂米朝(かつらべいちょう)「3代目」

生年月日:昭和2年(1927年)11月6日

没年月日:平成27年(2015年)3月19日

享年:87歳

桂米朝(かつらべいちょう)3代目は、上方落語を代表する名人で、本名は中川清(なかがわ きよし)。昭和戦後の荒廃期から、上方落語の復興に尽力し、多くの古典噺を掘り起こして現代に伝えた功績は大きい。柔らかく格調高い語り口と、的確な人物描写で聴衆を魅了し、「知的で品格ある落語家」と称された。門下からも多くの名人が育ち、「米朝一門」は落語界の名門として知られる。文化功労者、文化勲章受章者でもあり、芸の道を極めた真の匠として、今も多くの人々に敬愛されている。


8.桂米丸(かつらよねまる)「4代目」

生年月日:大正13年(1924年)10月10日

没年月日:令和6年(2024年)8月5日

享年:99歳

四代目桂米丸師匠は、1924年(大正13年)10月10日に生まれ、2024年(令和6年)8月5日に老衰のため逝去されました。享年は99歳でした。師匠は新作落語の第一人者として知られ、古典落語が主流だった時代に、現代の風俗や社会問題を題材とした新作を積極的に創作・演じました。そのユーモアと風刺の効いた語り口は多くの聴衆を魅了し、落語界に新たな風を吹き込みました。また、後進の育成にも力を注ぎ、多くの弟子を育て上げました。晩年まで高座に立ち続け、落語芸術協会の名誉会長も務めるなど、落語界に多大な貢献をしました。その功績は、落語の伝統と革新を融合させた点で特筆されます。


9.桂米助(かつらよねすけ)「9代目」

生年月日:昭和23年(1948年)4月15日

没年月日: ご存命

2026年6月7日現在 78歳

桂米助(本名:小野五六)は、昭和23年(1948年)4月15日、千葉県市原市姉ヶ崎に生まれた落語家・タレントです。昭和42年(1967年)に四代目桂米丸に入門し、浅草演芸ホールでデビュー。昭和46年(1971年)に二ツ目、昭和56年(1981年)に真打に昇進しました。昭和57年(1982年)には放送演芸大賞ホープ賞を受賞しています。「ヨネスケ」の名で親しまれ、日本テレビ系『ルックルックこんにちは』のコーナー「突撃!隣の晩ごはん」で全国の家庭を訪問し、親しみやすいキャラクターで人気を博しました。また、野球を題材にした「野球落語」などの新作落語も手がけ、古典落語と新作落語の両面で活躍しています。現在も落語芸術協会の参事として、落語界に貢献し続けています。

21.日本おとぎ噺 「花咲か爺さん」

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むかしむかし、ある村に心優しいおじいさんとおばあさんが住んでいました。ふたりは貧しいながらも仲良く暮らし、周囲の生き物にも分け隔てなく愛情を注いでいました。ある日、一匹の白い犬がやってきて、老夫婦に懐きます。ふたりはこの犬を「シロ」と名づけ、まるで子どものように大切に育てました。

ある日、シロが庭を掘りたそうに鳴くので、おじいさんが鍬を持って一緒に掘ると、中からざくざくと小判が現れました。老夫婦は驚きながらも感謝し、村人にもその話を伝えます。するとそれを聞きつけた隣の欲張りじいさんが、シロを無理やり借り出して宝を掘らせようとします。しかし、どこを掘っても出てきたのはごみやガラクタばかり。怒った隣のじいさんは、シロを打ち殺してしまいました。

悲しみに暮れる老夫婦は、シロの亡骸を引き取って手厚く弔い、灰にして仏壇に祀ります。ある日、おじいさんがその灰を手に持ち、ふと立ち枯れた木に撒いたところ、みるみるうちに花が咲き乱れました。都から通りかかった殿様はその様子に感動し、「花咲かじいさんじゃ!」と褒めたたえます。こうしておじいさんは、村でも一目置かれる存在となりました。

その話をまた聞きつけた隣のじいさんは、自分もと真似て灰を作り、殿様の前で木に撒きますが、花は咲かず、灰が風に舞って殿様の顔にかかってしまいます。怒った殿様は、じいさんを厳しく叱り、追い払いました。それ以来、老夫婦は静かに穏やかな日々を送り、人々から敬われながら暮らしましたとさ。

9. 『古典落語』「碁どろ(ごどろ)」

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町内に住む碁好きの隠居が、今日も暇を持て余しつつ、誰か相手が来ないかと待っていた。そこへ現れたのが、見慣れぬ若者。物腰柔らかで、碁も少々打てるというので、さっそく対局が始まる。だがこの若者、素人を装いながらも、じつはかなりの腕前。隠居はまったく歯が立たず、連戦連敗で悔しがる。
それでも勝てぬとなると、人間、腹が立ってくるもので、「今夜こそは勝ってやる」と躍起になる隠居。一方の若者は、飄々としながら碁を打ち、盤上では隠居を翻弄する。

何日か通ううち、若者はすっかり隠居の家に出入りするようになり、対局を終えるとお茶や饅頭をご馳走になる始末。「あんたが来ると碁が打てて嬉しい」と、隠居は上機嫌だが、勝てぬことへの鬱憤も募る。
ある日、近所の者がこっそり耳打ちする。「あの若者、泥棒だって噂がありますよ」。驚いた隠居が問いただすと、若者はしれっと「ええ、泥棒です」と答えるではないか。開き直る様子にあっけに取られる隠居。

驚きつつも、「それでもあんたの碁は見事だ。できればもう一局」と言ってしまう隠居。若者も「碁が打てるなら、泥棒でもよかろう」と応じ、二人は奇妙な関係を続けることに。
だがある夜、若者が碁盤に集中しているすきに、裏から本物の泥棒が侵入する。物音に気づいた隠居が驚くと、若者が立ち上がってその泥棒を捕まえた。どうやら碁に熱中していたため、盗みに来た奴を「商売の邪魔」とばかりに取り押さえたらしい。

駆けつけた町役人に「この若者こそ泥棒です」と隠居が訴えるが、若者は捕まえた泥棒を引き渡し、「人を助けた善人だ」と褒められる始末。結局、「碁が強くて、悪事も憎めぬこの若者、碁どろとして生きるほかあるまい」と、隠居は苦笑い。
こうして、腕は立つが素性の怪しい「碁どろ」は町内に名を知られ、隠居の碁敵として今日も盤を挟むのであった――

20.『日本おとぎ噺』 「かぐや姫」

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昔、竹取の翁(おきな)が山で竹を取っていたところ、不思議に光る竹を見つける。切ってみると、なんと中から小さな女の子が現れた。翁は驚きつつも喜び、女の子を連れて帰り、妻とともに育てることに。やがて娘は美しい少女へと成長し、「かぐや姫」と名づけられた。

かぐや姫の美しさは都中に広まり、多くの貴族が求婚に訪れる。姫はそのすべてに難題を出して断る。「仏の御石の鉢を持ってきて」「火鼠の皮衣を見せて」など、誰にも成し遂げられぬ無理難題。男たちはことごとく失敗し、諦めて去っていった。

夏の終わり、かぐや姫は悲しげな様子で「実は私は月の世界の者、満月の夜に迎えが来る」と打ち明ける。翁は姫を守ろうと、帝に願い出て護衛を付けるが、月の使者は夜空から光とともに現れ、地上の兵も太刀打ちできない。姫は涙をこらえつつ、最後に育ての親に手紙と不老不死の薬を残す。

かぐや姫が去った後、翁は深い悲しみに暮れる。残された帝も、姫への想いを断ち切れず、不老不死の薬を焼かせるために富士の山へ送り届ける。「天に届くほど高い山で焼け」と命じたという。以後、その山を「富士山」と呼ぶようになった。今でもその煙が空へと昇るという。