語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

9. 『日本おとぎ噺 』「桃太郎」

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むかしむかし、あるところに、仲睦まじく暮らすおじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出かける、そんな穏やかな日々。ある日、おばあさんが川で洗濯をしていると、「どんぶらこ、どんぶらこ」と流れてくる大きな桃を見つけました。「まあ、なんと大きな桃じゃこと!」と驚きつつ、それを抱えて家に持ち帰ります。

家に戻り、おじいさんとふたりで桃を割ってみると、なんと中から元気な男の赤ん坊が生まれました。「おぎゃあ」と泣くその子を見て、ふたりは驚きながらも大喜び。「桃から生まれた子じゃ」と名づけて、「桃太郎」と呼ぶことにします。子どものいなかったふたりは、桃太郎をわが子のように大切に育てました。やがて桃太郎はすくすくと育ち、力持ちの立派な若者に成長します。

ある日、桃太郎は「鬼ヶ島に悪い鬼が住んでいて、村人たちから宝物を奪っている」と聞き、自ら退治に行くことを決意します。おばあさんが用意してくれたきび団子を腰にぶらさげ、旅に出た桃太郎は、道中で犬、猿、雉に出会います。それぞれにきび団子を分け与え、「鬼退治に力を貸してくれ」と頼むと、三匹は喜んで仲間になります。こうして桃太郎と動物たちは、鬼ヶ島へと向かうのでした。

鬼ヶ島に到着した一行は、勇敢に鬼たちと戦い、見事に勝利を収めます。鬼たちは降参し、奪った宝物をすべて返しました。桃太郎たちは宝物を積んで村へ帰り、おじいさんとおばあさんは涙を流して喜びます。村人たちも桃太郎の勇気と優しさを称え、村は再び平和を取り戻しました。こうして桃太郎は、人々の心に語り継がれる英雄となったのでした。

4.『江戸小咄』「煙草入」

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ある日、長屋の男・茂兵衛が、懐から見事な革の煙草入れを取り出した。細工も見事、金具も上等。隣人の徳さんが「おい茂さん、それは粋な一品だねえ」と感心する。茂兵衛、鼻を高くして「ええ、吉原帰りにふと見つけてね、つい衝動買いで」と得意気に語る。

ところがそれを見た熊五郎が、「へぇ、いいもん持ってるじゃねえか。でも中身はどうだ?」と聞く。茂兵衛が開けて見せると、中は空っぽ。火入れも、煙草葉も入っていない。徳さんが首をかしげて「使ってないのかい?」と尋ねると、茂兵衛は気まずそうに笑いながら「いや…まだ煙草買ってなくて」と口ごもる。

そこへ、ご隠居が通りかかり、一連の話を聞いて大笑い。「煙草入れだけ持って、煙草がねえとは――なんだい、まるで財布だけ持ってて金が入ってないようなもんだな」と言うと、周囲もつられて笑う。茂兵衛はちょっぴり赤面しながらも、肩をすくめて「見栄張るのも楽じゃねえ」と苦笑い。

夕暮れ時、長屋の路地裏に笑い声がこだまする。誰もが貧しくとも、笑いと粋で生きていた江戸の暮らし。
茂兵衛の煙草入れは、今日も胸元で空っぽのまま、誇らしげに揺れている――。

8.『日本おとぎ噺』 「火男」

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昔々、ある村に、火を操る力を持った不思議な男が住んでいました。その男は「火男」と呼ばれ、彼が現れると、どんな寒い日でも周囲が暖かくなり、火を使って村人たちを助けていました。最初はその力をありがたく思っていた村人たちも、次第に火男が自分の思い通りに火を使い始めたことを恐れるようになります。

ある日、村に大きな火災が起きました。村人たちは必死に消火しようとしましたが、火男が火を使おうとするたびに、火がますます激しく燃え上がり、村全体が危険にさらされてしまいます。火男は自分の力をコントロールできず、暴走してしまうのでした。火男自身もその力に困惑し、どうしたら良いのかわからなくなります。

火男は村を救うために、自分の力を制御しなければならないと決意します。彼は森の中に入って修行を始めました。そこで、火を使いこなすためには、ただ力を使うのではなく、心を落ち着け、自然と調和することが大切だということに気づきます。しばらくして、彼は再び村に戻り、今度は自分の力をうまく制御できるようになっていました。

火男は村に戻ると、再び村人たちを助けるためにその力を使います。今回は力をコントロールし、村を危機から守ることができました。村人たちは火男を再び信頼し、感謝の気持ちを伝えます。火男は自分の力を人々のために使うことの重要性を学び、今後も村の守り手としてその力を使い続けることを決意します。

『粋の極み ・笑いの匠たち』1~3

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1.桂歌丸(かつらうたまる)「8代目」

生年月日:昭和11年(1936年)8月14日

没年月日:平成30年(2018年)7月2日

享年:81歳

横浜市中区真金町の生まれ。初名は椎名巌(しいな いわお)。幼少より芸に親しみ、昭和26年、五代目古今亭今輔に入門し「古今亭今児」を名乗る。のち、桂米丸門下に転じ、「桂米坊」を経て、昭和36年に八代目・桂歌丸を襲名。端正で知的な語り口と、古典落語への深い愛情で名高い。長年『笑点』の大喜利メンバーとしても親しまれ、2006年からは五代目三遊亭圓楽の後を継ぎ『笑点』司会者として番組を牽引した。晩年は高座に復帰し続けた姿も感動を呼んだ。まさに、現代落語界を象徴する一人であった。


2.桂枝雀(かつらしじゃく)「2代目」

生年月日:昭和17年(1942年)8月13日

没年月日:平成11年(1999年)4月19日

享年:56歳

桂枝雀(二代目)は、昭和を代表する上方落語の名人で、本名は前田達(まえだとおる)。若き日に桂米朝に入門し、「桂小米」の名で研鑽を積み、昭和48年(1973年)に二代目「桂枝雀」を襲名。彼の落語は理詰めで緻密に構成されながらも、破天荒な動きと爆発的な笑いに満ちており、「枝雀流爆笑落語」とも称された。特に「英語落語」の試みなど革新的な挑戦も多く、落語を世界に広める架け橋にもなった。一方、内面は繊細で、晩年は心の病に苦しみ、平成11年に急逝。享年56。夭折の落語家として多くのファンに惜しまれ、その功績は今なお語り継がれている。


3.桂小金治(かつらこきんじ)

生年月日:大正14年(1925年)3月5日

没年月日:平成26年(2014年)3月13日

享年:89歳

桂小金治は、戦後昭和のテレビ・ラジオ黄金期を彩った名人落語家にして、名司会者。東京出身で、初代桂小金治を名乗ったのち、テレビ草創期には『お昼のワイドショー』や『それは秘密です!!』などで人気を博した。軽妙な語り口と人情味あふれる話芸で親しまれ、テレビの司会業に進出してからも落語の精神を忘れず、庶民の気持ちに寄り添う語りで多くの視聴者の心を掴んだ。晩年には再び落語に重きを置き、古典落語の再評価にも貢献。芸と人柄の両面で信頼され、「人情派名人」として記憶されている。

7.『日本おとぎ噺 』「ぶんぶく茶釜」

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むかしむかし、ある寺に住む和尚さまが、山で傷ついたタヌキを見つけました。和尚さまはそのタヌキを寺に連れて帰り、手当てをしてやります。タヌキはやがて元気になり、恩返しがしたいと強く思いました。

タヌキはある日、寺に古くなった茶釜があるのを見つけ、「自分が化けて芸をすれば、お金が手に入るかもしれぬ」と思いつきます。するとタヌキは自ら茶釜の姿に化け、和尚に「旅の芸人に売ってください」と告げます。和尚は不思議に思いながらも、茶釜を町へ持っていきます。

町の芸人がその茶釜を買い取り、興行を開くと、茶釜は自在に動き出し、綱渡りや太鼓を叩く芸を見せて、人々は大いに笑って喜びました。「ぶんぶく茶釜」と名付けられ、たちまち町の人気者に。芸人も喜び、茶釜とともに旅興行を続けます。

やがてタヌキは芸人に別れを告げ、「恩返しはこれで終わり」と言って、再び和尚さまの元へ戻ってきました。和尚さまは茶釜を大切に扱い、寺ではその後も不思議な茶釜の話が語り継がれるようになったということです。