語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

2. 『古典落語』「時そば(ときそば)」

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ある冬の夜更け、江戸の町。男が屋台の蕎麦屋に近づき、「そば、ひとつくんな」と声をかける。寒さもあってか、屋台の湯気がありがたく感じられる。蕎麦屋は「へい、いらっしゃい」と応じ、男にそばを出す。男は器用にすすりながら、実にうまそうに食べる。周囲の人間も思わず見とれるほどの食べっぷりだ。

そばを食べ終えた男は、代金を払おうと銭を数え始める。「一文、二文……六文、七文、今何時(なんどき)だい?」「へえ、八つで」と蕎麦屋が答えると、男は「九文、十文」と言って銭を渡し、さっさと立ち去る。残された蕎麦屋は一瞬きょとんとするが、後で気づく。「あっ、あの客、今何時か聞いてる間に、数をごまかして十文のうち一文、抜かしやがった!」

その様子をこっそり見ていたもう一人の男。「これは使える手だ!」と感心し、翌晩、同じように屋台の蕎麦屋へ出向く。蕎麦を注文し、いざ代金を払う段になり、さっそくまねをして銭を数える。「一文、二文……五文、六文、今何時だい?」「へい、四つで」「……五文、六文、七文、八文、九文、十文」と払って満足気に立ち去る。

だが、そば代は十文だった。つまりまねしたつもりが、二文も余計に払ってしまったのだ。知らぬが仏のまぬけな男。その勘違いぶりが、観客の笑いを誘って噺は終わる。

4.『日本おとぎ噺』 「舌切り雀」

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むかしむかし、心やさしいおじいさんと、意地悪なおばあさんが住んでおりました。
ある日、おじいさんはけがをした小さな雀を見つけ、家へ連れて帰って手当てをしました。雀は日に日に元気になり、ちゅんちゅんと懐いて、まるで家族のようになっていきました。

ところがある日、おじいさんが留守の間に、雀が干してあったノリを食べてしまいました。
それを見たおばあさんは怒って、なんと雀の舌を切ってしまいます。
雀は驚き、泣きながら飛び去ってしまいました。
帰ってきたおじいさんは雀がいなくなったと知り、悲しみに暮れ、雀の宿を探しに山へ入っていきます。

やがておじいさんは、竹林の奥で「雀のお宿」にたどりつきました。
雀たちはおじいさんを喜んで迎え入れ、昔の雀も元気な姿で現れました。
宴が開かれ、楽しいひとときを過ごしたあと、雀は「お土産にどうぞ」と、大小ふたつの葛籠(つづら)を差し出します。
おじいさんは「小さい方で十分」と小さな葛籠を選び、家に持ち帰りました。中には金銀や反物がぎっしり。おばあさんはそれを見て欲に目がくらみます。

次の日、おばあさんは自分も大きな葛籠をもらおうと雀の宿へ行きます。
厚かましく振る舞った末、無理に大きな葛籠を背負って帰る途中、待ちきれず道で開けてしまいます。
すると中からは妖怪や化け物が飛び出してきて、おばあさんは腰を抜かして転げ落ちてしまいました。
その後どうなったかは誰も知りません。
「欲張りは身を滅ぼす」、そんな教訓を残して、話はおしまい。

2. 『江戸小咄』「桃太郎」

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ある町内に、子ども好きで評判の長屋の爺(じい)さんがいた。名は八兵衛。日がな一日、近所の子らに昔話を聞かせるのが日課で、とりわけ「桃太郎」の話は大人気。鬼ヶ島へ行くくだりでは、子どもたちも刀を振るまねをして大騒ぎ。「よっ、桃太郎!」なんて声も飛ぶ。八兵衛は得意げに話を続けるが、その内容は少々変わっていて――。

「桃から生まれた桃太郎、犬・猿・雉をお供に、鬼ヶ島へ渡るってぇと……」と始まるものの、肝心の鬼退治では、「鬼と談判して酒盛りになった」「宝を譲ってもらって和解した」など、肝心の立ち回りがない。子どもらは不満げに「もっと戦ってよ」とせがむが、八兵衛は「いやいや、争いごとはいけねえ」と笑って取り合わない。

ある日、若旦那が様子を見に来て、「八さん、その桃太郎、ちと軟弱じゃねえか?」と口を挟む。「昔話ってのはもっと痛快にいかねえと」と言われ、八兵衛はしばし考え込む。そして翌日、「さてさて、今日は特別篇だ」と始めた話は、桃太郎が江戸で豆腐屋を開業し、鬼ヶ島に店を出す話。鬼と商売繁盛し、豆腐が飛ぶように売れたという結末に、子どもらもぽかんとする。

最後に八兵衛、にこりと笑ってこう締めくくる。「鬼だって腹は減る。豆腐くらい喰わしてやんな」。隣の婆さんが「八さん、それじゃ鬼退治じゃなくて鬼接待だよ」と突っ込み、みな大笑い。江戸の夕暮れ、笑い声が長屋にこだまする――そんな、平和で人情味あふれる小咄であった。

3.『日本おとぎ噺 』「八つ化け頭巾」

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むかし、旅好きの若者がおりました。ある日、山道を歩いていると、見知らぬ茶屋がぽつんと立っており、美しい女主人がひとりで切り盛りしていました。若者はふと心を惹かれ、茶を所望します。女主人は静かに笑いながら、「これを被れば、どこでも自由に行けましょう」と、一枚の頭巾を若者に手渡します。それは、姿を隠し、さまざまな者に化けられるという不思議な頭巾でした。

若者は頭巾の力を試してみると、狐に、老婆に、果ては役人にまで化けることができ、大いに楽しみます。街でいたずらをしたり、酒場で騙し騙される日々を送ります。だが次第に、化けた姿に頼りきってしまい、本当の自分を忘れていくのです。「誰かになれること」に酔いしれる若者は、もはや故郷にも顔を出さなくなっていました。

ある日、ふとあの茶屋を思い出し、若者は再び山を訪れます。すると変わらぬ姿の女主人が静かに迎えてくれました。「言ったでしょう。自分を忘れるぞと」――そう言う彼女の言葉に、若者はハッとします。茶を出され、その湯気に映るのは、かつて純粋だった自分の面影。涙を浮かべた若者は、ようやく目を覚まします。

若者は頭巾を脱ぎ、深く礼をして茶屋をあとにします。それからはもう化けることはせず、素顔で旅を続けました。人はどんな姿にもなれるけれど、心の軸を見失ってはならぬ――若者の旅は続きましたが、心には確かな「自分」が戻っていたのです。

1.『古典落語』「寝床(ねどこ)」

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旦那衆の中でも、義太夫好きで知られる呉服屋の旦那。ある日、番頭や手代たちを座敷に呼びつけ、「今晩は義太夫を一席聴かせる」と高らかに宣言する。商売の話かと思いきや、義太夫の披露。だが、使用人たちは気が重い。なにせ旦那の義太夫は、音程は外れ、節回しも乱れ、耳にするのが苦痛なほど。「またあの『寝床』か……」と顔を曇らせる者もいる。だが、旦那の機嫌を損ねれば商売に響く。誰も断れず、しぶしぶその場に残る。

夜も更け、座敷に設えられた小舞台。三味線を抱えた旦那が悠々と現れ、調子をとって義太夫を始める。座敷には重々しい空気が漂う。汗をぬぐいながら、無理やり笑顔を浮かべる番頭。まぶたを閉じて舟を漕ぐ手代。外に逃げ出したいのをぐっとこらえ、皆で「いいお声でございますなあ」とお世辞を言うのがやっと。しかし旦那は満足げで、「来週もまた一席やるぞ」とにこにこしている。

何日か後、旦那はまたも義太夫会を開こうとするが、番頭は「荷の仕入れがございます」と言い、手代たちも皆、言い訳して姿をくらます。業を煮やした旦那は怒鳴る。「わしの義太夫がそんなに下手か!ああ下手さ。だがな、わしはな、好きでやってるんだ!」と怒りを爆発させる。だが、ふと冷静になり、「やっぱり無理強いはいけないな…」と反省する。「これからは無理に聴かせるようなことはせん」と、義太夫会の中止を告げるのだった。

その後、店の者たちは安堵し、旦那もあっさり引き下がった様子に内心ほっとする。だが数日後、再び座敷に呼ばれた一同の前に、旦那が登場。「今晩は誰にも強制はしない。ただ――わしは唸る」と言い放ち、またしても三味線を取り出す。使用人たちは「また始まったか……」と苦笑いしつつも、どこか江戸の人情味を感じさせる場面に、思わずくすりと笑ってしまう。下手でも、好きなことを貫く旦那の姿が、妙にいとおしい。