語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

22.『江戸小咄』の「小便(しょうべん)」

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ある日のこと、長屋に住む八五郎(はちごろう)が、小用を足したくなり、裏手の溝(どぶ)へと足を運んだ。
ところが、その日は朝から雨がしとしと降っており、軒下を出てすぐ、足を滑らせて尻もちをつく始末。裾は泥にまみれ、手も冷たい水に浸かってびしょ濡れ。
「こりゃ、ついてねえなあ」とぶつぶつ言いながら、しょぼしょぼと歩いてゆく。



ようやく目的の場所に辿りつき、用を足そうと袴をたくし上げたそのとき――
なんと、すぐ横で町内の若い娘が洗濯をしていたことに気づく。「あっ」と思ったときにはもう遅く、娘の目が合ってしまった。
赤面する八五郎、娘は気まずげに目をそらす。
「いや、こりゃなんとも…風流ってやつかねえ」と、場違いな言い訳を心中でつぶやく。



翌日、件の娘の母親が八五郎のもとへとやって来た。
「うちの娘がね、昨日のことが気になって…」
八五郎、まさか怒鳴られるかと思いきや、母親はにっこり笑って、「あんな恥ずかしいとこを見たからには、もう嫁に行けないと申しておりまして」とぽつり。
「えっ…えぇ!?」と目をむく八五郎。
「それで、もしよければ…八さん、お嫁にもらってはくれませんかねぇ」



その話が広まると、長屋中が大笑い。
「小便ひとつで祝言とは、江戸も粋なもんだ!」
やがて、八五郎と娘はほんとうに祝言をあげ、今では笑顔の絶えぬ夫婦に。
――江戸の町では、**笑いと縁(えにし)**は、思わぬところから生まれるものでござんす。


50.日本おとぎ噺 「かもとりごんべい」

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むかしむかし、山里に「ごんべえ」という働き者の若者がいました。ごんべえは貧しいながらも明るく、村人たちに好かれていました。ある日、ごんべえは「鴨をたくさん捕まえれば一攫千金」と考え、鴨捕りに出かけることにしました。竹で作った大きな籠を背負い、川辺へと向かいます。



ごんべえは川辺に餌をまいて、鴨たちが集まってくるのを待ちました。そして、鴨たちが籠に入った瞬間、「今だ!」と蓋を閉め、大量の鴨を捕獲することに成功します。「これでひと財産できたぞ!」と満足げに籠を背負い、村へ帰ろうとします。



ところが、籠の中の鴨たちが暴れ出し、一斉に飛び立とうとします。ごんべえは籠にしがみついたまま空中へ持ち上げられ、ついには空高く舞い上がってしまいました。空の上でごんべえは「ひえぇぇ!」と叫びつつ、鴨に運ばれ続けます。



ついに鴨たちは疲れて、ごんべえを山奥の森の中へと落としてしまいます。ごんべえは木の上に引っかかり、「命があっただけでもありがたい」と胸をなでおろします。その後、ごんべえはもう鴨捕りをやめ、まじめに畑仕事をして慎ましく暮らしたということです。


『粋の極み ・笑いの匠たち』19~21

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19.三遊亭円窓(さんゆうていえんそう)「5代目」

生年月日昭和13年(1938年)10月10日

没年月日令和5年(2023年)10月13日

享年:86歳



五代目三遊亭円窓(さんゆうてい・えんそう)は、昭和を代表する名人落語家であり、また教育者・文筆家としても活躍した多才な人物です。三遊亭円楽(五代目)の弟子として入門し、真打昇進後は古典落語を中心に、丁寧で格調高い語り口で人気を博しました。特に「文七元結」や「芝浜」などの人情噺に定評があり、聞く者の心を打ちました。また、落語の教育や普及にも力を入れ、大学や市民講座での指導に加え、数多くの著書を執筆。伝統を大切にしつつ、後進の育成にも熱心でした。最晩年まで高座に立ち続け、86歳でその生涯を閉じました。誠実で温かな人柄が、多くの人に慕われました。



20.三遊亭白鳥(さんゆうてい はくちょう)

生年月日昭和38年(1963年)5月21日

没年月日 ご存命

享年:本日 2026年7月5日 の時点 63歳



三遊亭白鳥は、落語協会に所属する落語家で、本名は藤田英明(ふじた ひであき)です。日本大学芸術学部文芸学科を卒業後、1987年(昭和62年)7月に三遊亭円丈に入門し、前座名「三遊亭にいがた」を名乗りました。1990年(平成2年)3月に二ツ目に昇進し、「三遊亭新潟」と改名。2001年(平成13年)9月に真打に昇進し、「三遊亭白鳥」となりました。

彼は、独自の創作落語で注目されており、100本以上の作品を持ちます。紙芝居落語やホラー落語など新しいことに挑戦し、誰にも真似できない「白鳥落語」を目指しています。また、子供たちへの落語教育にも力を注ぎ、全国の中学や小学校で独自の落語教育を実施しています。さらに、笑いと健康に注目し、「お笑い健康体操」を編み出し、病院や地方自治体などで普及しています

主な作品には、「アジアそば」「白鳥版火焔太鼓」「任侠流山動物園」「マキシム・ド・のん兵衛」などがあります。2005年には、彩の国芸術劇場落語部門で大賞を受賞しました。現在も精力的に活動を続けており、落語界で大変注目されている存在です。



21.三遊亭小圓朝(さんゆうてい ・こえんちょう) 「3代目」

生年月日明治25年(1892 年)8月8日

没年月日昭和48年(1973年)7月11日

享年:80歳



三代目三遊亭小圓朝(さんゆうてい こえんちょう)は、二代目小圓朝の長男として生まれ、16歳で父の門下に入りました。朝松、小圓治を経て、大正6年に橘家円之助として真打ちに昇進し、昭和2年に三代目小圓朝を襲名しました。彼は「あくび指南」「笠碁」などの演目を得意とし、淡々とした語り口の中に江戸前の滑稽味を漂わせる芸風で知られました。また、三遊派の頭取としても活躍し、落語界の発展に貢献しました。彼の芸は、現在もCDや書籍などで楽しむことができます。

49.日本おとぎ噺 「かしき長者(かしきちょうじゃ)」

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昔、ある村にとても貧しい夫婦が住んでいた。日々の暮らしもままならず、ある日、男は生きる望みをかけて都へと出ていくことにした。
途中、道端で一人の年老いた旅人に出会う。旅人は男に、「都で『かしき』というものを探してごらん」とだけ言い残し、姿を消す。男はその言葉を信じて、都で「かしきとは何か」を探し始めるのだった。



都に着いた男は、「かしきとは何か」と聞き回るが、誰に聞いてもわからない。ある日、とある屋敷の門前で「飯炊きのかしきを探している」という張り紙を見つける。どうやら「かしき」とは、大きな屋敷で炊事をする役目のことらしい。男は喜んで門を叩き、その屋敷で雇われることになる。毎日まじめに飯を炊き、こつこつ働き続けた。



ある日、屋敷の主人が引っ越すことになり、男もいっしょに新しい土地へ赴くことになる。長い月日が過ぎ、男はいつの間にか屋敷の経営を任されるようになり、ついにはその土地で一番の長者となる。かつての貧しさが嘘のように、男は「かしき長者」と呼ばれるようになった。



男はやがて故郷へ戻り、貧しかった頃の妻を迎えに行く。村人たちは信じられずに唖然とするが、男は変わらぬ笑顔で妻を抱きしめる。こうしてふたりは再び一緒になり、今度は裕福で幸せな暮らしを送った。村では今でも、「真面目に働く者は、かしき長者のように報われる」と語り継がれている。


21.『古典落語』「天狗裁き(てんぐさばき)

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江戸は神田の長屋に住むある男。朝から不機嫌な様子で、何やら思案顔。女房が心配して尋ねても、「いや、なんでもねえ」とつれない返事。ところが、ふとした拍子にうっかり「夢を見てたんだ」と口を滑らせる。女房はそれを聞き逃さず、「どんな夢を見たのか、言っておくれよ」としつこく問い詰める。



男は頑として夢の中身を明かさない。それがかえって女房の疑念を深める。「女の夢でも見たんだろう」「浮気の夢か」などと決めつけ、口論に発展。近所の長屋仲間や大家までも巻き込んで、夢の内容が何だったのか、町じゅうの関心ごとに。男は「夢は夢、他人に話す義理はねえ!」と頑固に言い張るが、周囲の好奇心と疑いは収まらない。



ついには町役人まで登場し、事は役所沙汰に。男は頑固一徹、「夢の中身など言わぬ」と主張するが、あまりの騒ぎに奉行所へ引き出されてしまう。奉行も苦笑しながら、「夢ぐらい話せば済むことじゃ」と諭すも、男は意地になって拒否。どうにも埒があかぬと、ついには空を飛ぶという天狗のもとへと連れていかれることに。



山奥の天狗の裁きの場。天狗は威厳たっぷりに問う。「なぜ夢の内容を話さぬ?」男は言い訳を繰り返すも、天狗の怒りに触れ、ついに「わかった、話すよ!」と観念する。そして言った。「夢の中で…わしがこうして人に囲まれて“夢の話をしろ”とせっつかれていたんだ!」
――その瞬間、男ははっと目を覚ます。なんと、すべては本当に夢だったのである。布団の中、そばには女房の顔。「夢の中で夢の話をしろと言われる夢」を見ていたのだ。