語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

『宮沢賢治・光と風の物語』第一回「風の又三郎」

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九月一日、谷川沿いの小さな学校へ、高田三郎という赤い髪の少年が転校してきた。見慣れぬ洋服を着て、どこか町の子らしい三郎を、生徒たちは遠巻きに眺める。その日、外では激しい風が吹いていた。嘉助たちは、三郎こそ風の神の子「又三郎」ではないかとささやき始める。



三郎は村の子どもたちと野原を走り、谷川で遊び、放牧場へも出かけた。都会風の言葉を使いながらも、乱暴に威張ることはない。けれど、三郎が怒ったり駆け出したりすると、不思議な風が巻き起こるように思われた。子どもたちは親しくなりながらも、三郎への疑いを捨てきれなかった。



ある日、嘉助は牧場で道に迷い、激しい風雨に巻き込まれた。薄暗い空の下で、三郎が馬に乗って現れたように見え、嘉助は恐怖のあまり気を失う。助けられて学校へ戻ったあとも、あれが本当に三郎だったのか、風の又三郎だったのか分からない。子どもたちの疑いは、ますます深まった。



九月十二日の朝、学校へ行くと三郎の姿がなかった。父親の仕事の都合で、急に別の土地へ移ったという。子どもたちは、空の席を見つめながら、三郎はやはり風の又三郎だったのだと思う。校庭には強い風が吹き抜けていた。三郎は去ったが、風だけは何も答えず、村の山々を駆けていった。


25.『江戸小咄』「文盲(もんもう)」

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江戸の町は、今日もにぎやか。魚河岸の威勢のいい掛け声に、行商の笛の音。町角の長屋には、職人と商人がひしめき合い、子供たちは表でゴロゴロ遊んでいる。そんな町に住むのが、熊さんという大工。腕は確かだが、読み書きはちと苦手。もっとも、江戸っ子は理屈よりも気っ風が大事ときてるから、あまり気にしちゃいない。



ある日、熊さんが長屋に戻ると、お隣の八っつぁんが何やら神妙な顔。「熊さん、こりゃ大変だ。お上からのお触れが回ってきたんだが、読めなくてなぁ……」と巻物を差し出す。熊さんも困って「おいらも読めねぇや」と頭をかく。読み書きができる隠居に見せようと相談していると、近所の若い者がやって来て、「俺が読んでやろう」と得意顔。



ところが、その若い者が読み上げると「町内に入るべからず、文盲を罰す」とあるという。「なんだと!? 文盲は罪なのか!」と熊さんと八っつぁん、大慌て。読み書きができないことが罪になるなんてとんでもねぇ。江戸っ子の面目丸つぶれと、二人はしょんぼり肩を落とす。ところがそこへ通りかかった隠居が巻物を一読、「こりゃまるっきり読み違いだ」と一笑。



実際のお触れには、「町内に異人(いじん)入るべからず。問答に応ぜずとも罪にならず」と書いてあったのだ。文盲どころか、異国人と話せなくても問題ないという話。若い者が「文盲」と「問答」を取り違えたのが原因だった。「読み書きできるってのも、いい加減だとこえぇもんだな」と熊さんが呟き、八っつぁんもうなずく。夕暮れの長屋に笑い声がこだました。


57.日本おとぎ噺 「大沼池の黒竜(おおぬまいけのこくりゅう)」

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昔、信州(しんしゅう)の山奥に「大沼池(おおぬまいけ)」という大きな池があった。池の水は深く青く、どこまでも澄んでいたが、村人たちはこの池を恐れていた。ある晩、池から空へと黒い雲が湧き上がり、雷鳴とともに何かが天に昇っていったという。不吉な噂が村に広がり、「池には黒竜が棲む」と言い伝えられるようになる。



ある年、山に道を通すために工事が始まった。だが、池のそばで大きな音を立てて作業が始まると、突然、空がかき曇り、嵐が巻き起こった。雷が落ち、風が木をなぎ倒し、土砂が池に流れ込む。その夜、工事に関わった者の夢に、黒い竜の姿が現れ「この池を荒らすでない」と怒りの声をあげたという。



村では騒ぎとなり、長老が山に登り、池のほとりで竜神に向けて祈りを捧げた。「どうかお怒りを鎮めてくだされ、この山と村を守ってください」と。その後、村人たちは池を穢さず、神の棲まう場所として大切にするようになった。やがて嵐はおさまり、再び池は静けさを取り戻した。



それ以来、大沼池には誰もむやみに近づかず、祭りの日には供物を捧げて黒竜に感謝を伝えるようになった。池のほとりでは、今でも風が吹くとき、遠くから「ふうっ」と龍の息のような音が聞こえるという。村人たちは、池を見上げながらそっとつぶやく。「黒竜さま、どうかお守りください」と──。


『粋の極み ・笑いの匠たち』22~24

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22.三遊亭金馬(さんゆうてい・きんば)「3代目」

生年月日大正14年(1925 年)11月25日

没年月日令和4年(2022年)12月16日

享年:97歳



三遊亭金馬(さんゆうていきんば)(3代目)は、大正14年東京生まれの名人落語家。戦後の混乱期を経て昭和の高度経済成長期に、テレビ・ラジオの普及と共に庶民の人気を博した落語家の一人である。初代三遊亭金馬の孫弟子で、師匠は二代目金馬(のちの金翁)。昭和24年に真打昇進。古典落語を得意とし、「居酒屋」「茶の湯」「粗忽長屋」などで独自の間合いと語り口により聴衆を魅了した。またテレビ番組『笑点』の初期メンバーとしても知られ、落語界の顔ともいえる存在に。令和4年、97歳で永眠。穏やかな語りとユーモアで長年親しまれ、現代落語の礎を築いた功績は大きい。



23.三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)

生年月日昭和21年(1946 年)8月6日

没年月日  ご存命

2026年(令和8年)7月12日現在 : 79



三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)は、東京都台東区出身の落語家で、もとは三遊亭笑遊を名乗り、五代目三遊亭圓楽に入門した実力派。テレビ番組『笑点』でのピンクの着物姿が印象的で、長年にわたりお茶の間に親しまれてきた。得意演目は『初天神』や『時そば』など庶民的な人情噺。穏やかで軽妙な語り口に定評があり、全国各地の高座でも安定した人気を誇る。実の娘は女優の松岡ゆみ。落語界とメディアの架け橋として活躍を続け、落語文化の普及にも尽力してきた。「好楽」の名は、聴く者にも「楽(たの)しみ」を届けたいとの思いが込められている。



24.三遊亭遊三(さんゆうてい ・ゆうざ) 「3代目」

生年月日昭和13年(1838 年)2月28日

没年月日 ご存命

2026年(令和8年)7月12日現在 :88歳



東京都台東区鳥越出身の落語家です。本名は松嶋 明(まつしま あきら)で、昭和30年(1955年)に四代目三遊亭圓馬に入門し、前座名「とん馬」を名乗りました。昭和33年(1958年)に二ツ目に昇進し、昭和39年(1964年)に真打昇進と同時に三代目三遊亭遊三を襲名しました。この昇進は、入門からわずか9年目という当時としては異例のスピード出世でした。

彼は古典落語を中心に活動し、『芝浜』『文七元結』『子別れ』『井戸の茶碗』『船徳』『たがや』などの人情噺を得意としています。また、自作の新作落語『ぱぴぷぺぽ』も好評を博しています。特に『替り目』や『親子酒』では、見事な酔っ払いを演じることで知られていますが、私生活では酒をまったく飲まないという一面もあります。

彼の弟子には、テレビ番組『笑点』でおなじみの三遊亭小遊三がいます。また、落語芸術協会では長年にわたり理事を務め、現在は相談役として活動しています。昭和33年(1958年)には芸術祭奨励賞(団体)を受賞し、昭和59年(1984年)には芸術祭優秀賞を受賞、令和元年(2019年)には文化庁長官表彰を受けるなど、その功績は高く評価されています。

現在も高座に上がり続けており、池袋演芸場の初席第一部の主任を務めるなど、精力的に活動を続けています。その滑舌の良さと張りのある声は健在で、観客を魅了し続けています。

56.日本おとぎ噺 「乞食のくれた手ぬぐい(こじきのくれたてぬぐい)」

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昔、ある村の金持ちの男が、峠道の茶屋で休んでいた。そこへ旅の途中らしき一人の乞食が現れ、「何か食べ物を恵んでくだされ」と頼んだ。男は最初無視しようとしたが、乞食の態度があまりにも丁寧で、言葉も穏やかだったため、つい握り飯を一つ与えた。乞食は深く礼を言い、代わりに一枚の手ぬぐいを差し出した。「この手ぬぐい、ただの布ではございません。困ったときにお使いなされ」と。



男は内心「布切れ一枚で礼とは妙なことよ」と笑ったが、懐にしまい、再び旅を続けた。ところがある夜、峠を越えた先の宿で賊に襲われ、持ち物をすべて奪われてしまう。命からがら山中に逃げ込み、絶望していると、ふと手ぬぐいのことを思い出す。何気なくそれを取り出し、「助けてくれ」とつぶやいた。



すると、どこからともなく風が起こり、手ぬぐいが光りだした。次の瞬間、目の前に立派な屋敷が現れた。男が中に入ると、食事や衣類、休む部屋まで何もかもが整っていた。「これは夢か幻か……」と疑う間もなく、男は一夜を過ごした。朝になると屋敷は跡形もなく消え、ただ野原の真ん中に立っていた。だが、懐には金と食料が残っていた。



男は村に戻り、手ぬぐいの不思議を人々に語った。それからというもの、あの乞食の姿を見た者はいない。男は分け与えの心を忘れず、富んだのちも施しを欠かさぬようになった。あのときの一枚の手ぬぐいが、彼の人生を変えたのだった。