語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

『宮沢賢治・光と風の物語』第五回「よだかの星」

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よだかは、みにくい顔と弱々しい姿のため、ほかの鳥たちから嫌われていた。特に鷹は、名前に「たか」が入っているのが気に入らないと怒り、名を変えなければ命はないと脅す。よだかは争うこともできず、夕暮れの野原を飛びながら、自分はなぜこんな姿に生まれたのかと悲しんだ。冷たい風の中で、虫を食べて生きる自分の運命さえ、つらく思えてきた。



夜になると、よだかはいつものように空を飛び、口へ飛び込んでくる小さな虫を食べた。だが虫にも命があると気づき、自分も生きるために弱いものを奪っていることに苦しむ。「どうしてみんなは、互いに食べ合わなければ生きられないのだろう」。よだかは涙をこぼしながら高く飛び、もう地上には戻るまいと決めた。野原の風は、悲しむ心を押し上げるように吹いた。



よだかは太陽のもとへ行き、自分を光の中へ連れていってほしいと頼んだ。しかし太陽は、夜の星に願うよう告げる。そこでよだかは、オリオンや大犬座などの星々へ向かって必死に飛んだが、どの星にも受け入れてもらえなかった。翼は疲れ、息も苦しくなる。それでも、よだかは風に逆らい、暗い空をまっすぐ上へ飛び続けた。地上はしだいに小さく遠ざかっていった。



力を使い果たしたよだかは、空の中で静かに目を閉じた。その時、体は青白い光に包まれ、暗い夜空を照らす一つの星となった。もう鷹に脅されることも、姿を笑われることもない。よだかの星は、燃えるような青い光を放ち、今も遠い空で輝き続けている。その光は、弱く小さな命にも、消えることのない尊さがあると、地上へ静かに語りかけていた。


27.『江戸小咄』「海鼠腸(このわた)」

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年の瀬も迫ったある夜、長屋の八五郎が、珍しく寿司屋のカウンターに座っていた。
「へい、いらっしゃい。今日はずいぶん羽振りがよろしいじゃねぇか」
親方にそう冷やかされながらも、八五郎はすました顔で「海鼠腸(このわた)をひとつ」と頼む。
隣に座るご隠居が目を丸くして言った。
「へぇ、八、お前さん“このわた”なんざ喰える口か?」



「もちろんでさぁ。年に一度の贅沢ってやつでね」
八五郎は胸を張り、運ばれてきた小皿をちらりと見て、箸をとる。
が、その指先が微かに震えていたのを、ご隠居は見逃さない。
「ふふん……さては、初めてか?」
「う、うるせぇな。黙って食えばわかるんでぇ」



意を決して一口すすると、八五郎の顔が一瞬くしゃっと歪んだ。
ねっとりとした味わい、磯の香り、酒肴として通人好みの品だが、庶民の口にはやや強い。
「……こ、こりゃあ、なんとも、深い味で……」
無理に笑いながらも、口の中では戦が起きていた。
ご隠居はくすくすと笑い、「八、無理すんな。贅沢ってのは、慣れってもんがいるのさ」



「ちぇっ、見栄なんて張るもんじゃねぇな」
そう言いながら、八五郎は茶で口直し。
それでも帰り際、「今度は、鰯のぬたにすっかな」とぽつり。
――江戸っ子とは、見栄っ張りで照れ屋なもの。舌に合わぬ味に顔をしかめても、心のどこかでは、通人ぶってみたいのが人情というものなのでござんす。


61.日本おとぎ噺 「河童の雨ごい(かっぱのあまごい)」

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むかし、とある山あいの村が、長い日照りで困っていた。田んぼは干上がり、作物は枯れ、人も家畜も水に飢えていた。村人たちは毎日、山の神に雨ごいをしていたが、一向に雨は降らなかった。ある日、村の古老が「この谷の池には河童(かっぱ)が住んでいる。河童が天に願えば、きっと雨を呼んでくれるはずじゃ」と言った。



村人たちは池のそばへ行き、河童に向かって「どうか、雨を降らせてください」とお願いした。すると水面が揺れ、ぬっと現れたのは本当に河童だった。河童は人々の願いを聞くと、「それほど困っているなら、わしも手を貸そう。ただし、一つだけ約束してほしい」と言った。「わしが雨を呼ぶために踊っている間は、誰も笑ってはいけないぞ」



翌日、村人たちが見守る中、河童は池の上で奇妙な踊りを始めた。ぐるぐると回り、足をバタバタ、お尻を振って、何ともおかしな格好。村人たちは必死で笑いをこらえていたが、とうとう子どもが「ぷっ」と吹き出してしまった。それをきっかけに、大人たちまで大笑い。怒った河童は「もう知らん!」と池に飛び込んでしまった。



河童が池に戻ると、突然空に黒雲が広がり、雷が鳴った。しばらくして、待ちに待った大粒の雨が村に降り注いだ。作物は息を吹き返し、村人たちは大喜び。あの河童の怒りが天に届いたのか、それとも笑いが空を突き動かしたのか…それは誰にもわからなかった。だがそれ以来、村では雨が欲しいとき、「河童さん、踊ってくだされ」と願うようになったという。


『宮沢賢治・光と風の物語』第四回「セロ弾きのゴーシュ」

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町の活動写真館で、ゴーシュは楽団のセロを弾いていた。しかし演奏は遅れ、音も乱れ、楽長から毎日のように叱られていた。十日後には大きな音楽会がある。ゴーシュは夜になると、水車小屋のような古い家へ帰り、一人で何度も練習した。窓の外には畑が広がり、月の光と夜風だけが、ぎこちない音を聞いていた。


ある晩、練習中のゴーシュの前に三毛猫が現れ、音楽を頼んだ。ゴーシュは腹を立て、激しい曲を弾いて猫を追い返す。次の晩にはかっこう、その次には子狸、さらに野ねずみの親子が訪れた。動物たちは歌や太鼓の調子、病気の治療など、それぞれ違う願いを持っていた。ゴーシュは戸惑いながらも、毎晩セロを弾き続けた。


動物たちとの不思議な稽古が続くうち、ゴーシュは相手の声をよく聞き、速さや強さを合わせて弾くことを覚えていった。怒って鳴らしていた音は、次第に柔らかく、深く響くようになる。音楽会の日、楽団の演奏は見事に成功した。観客の拍手が鳴りやまず、楽長はゴーシュに一人で演奏するよう命じた。ゴーシュは驚きながら舞台の中央へ進んだ。



ゴーシュが力いっぱい弾くと、会場は大きな音の波に包まれた。演奏を終えたゴーシュは、自分が以前より上手になったことを初めて知る。家へ帰ると、朝の光が畑を照らし、風が静かに草を揺らしていた。ゴーシュは窓を開け、遠くの森へ向かって、かっこうに謝った。動物たちが教えてくれた音を思い出しながら、もう一度セロを優しく鳴らした。


26.『古典落語』「道灌(どうかん)」

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江戸の町。町人の八五郎は、威勢がよくて口も達者だが、どうにも教養がないのが玉に瑕。ある日、隣の若旦那が詠んだ和歌を耳にし、「山吹の花」だの「七重八重」だのと聞いたことのない言葉が並び、ちんぷんかんぷん。だが、やせ我慢も江戸っ子の美徳、「なるほど、なかなか粋な詠みぶりで」とそれらしくうなずいてしまう。実はちっとも分かっていないが、知ったかぶりが止められない。



そこで八五郎、町内の連中を前に教養ぶって一席ぶつ。「昔の殿様で“道灌”というお方がいてな、家来と山道を歩いていたときに雨に降られて…」と始めるが、どこまでが本当でどこからが創作かわからぬ話ぶり。しかし、妙に芝居がかっていて、これがまた面白い。「山吹の里の娘が、無言で花一枝を差し出した。道灌は不思議がったが、あとで“それは『七重八重…』という古歌の引用だったと知って恥じ入った”んだとさ」――何やら粋で、ちょいと気取った話になっている。



話を聞いていた町人たちは「へぇ、そんな意味があったのか」と感心。だがふと、「お前さん、じゃあその“七重八重…”の歌、全部言ってみな」と振られてしまう。八五郎、あせる。「え、えーと…七重八重、花は咲けども、実の一つだに…ええと、ええと…」と、どうにかそれっぽく取り繕おうとするが、語尾があやふや。「“実の一つだに、なし”だろう?」と突っ込まれ、たじたじになる。



結局、八五郎は「実のある話じゃねえや」と町人たちに笑われてしまうが、本人はどこ吹く風。「まあ、咲きゃいいのさ。花は花よ!」と開き直る始末。江戸の町には、知ったかぶりもまた愛嬌。学がなくても、ちょいと粋に構えて、言葉の綾で人を笑わせる。そんな江戸っ子の軽妙さと、庶民の間に生きる古典の香りが、柔らかな笑いとともに残る一席である。