語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

『粋の極み ・笑いの匠たち』25~27

100えんメガネ

25.春風亭一朝

生年月日昭和25年(1925 年)12月10日

没年月日 ご存命

本日 2026年7月19日現在 :75歳

春風亭一朝は、1968年(昭和43年)に五代目春風亭柳朝に入門し、1970年に前座名「朝太郎」として初高座を踏みました。1973年に二ツ目に昇進し、「一朝」と改名。1982年には真打に昇進しました。二ツ目時代から歌舞伎の囃子方として笛を担当し、「鳳声克美」の名で活動。この経験が芝居噺や音曲噺に深みを与え、独自の芸風を築きました。弟子には春風亭一之輔などがいます。2020年には「淀五郎」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど、江戸前の粋と品格を体現する名人として高く評価されています。



26.春風亭栄枝(しゅんぷうてい えいし)

生年月日昭和13年(1938 年)9月16日

没年月日令和4年(2022年)2月9日

享年:83歳

春風亭栄枝(本名:天津征〈あまつ ただし〉)は、東京都西巣鴨出身の落語家で、昭和32年(1957年)に八代目春風亭柳枝に入門し、前座名「枝二(えたじ)」を名乗りました。師匠の死去後は八代目林家正蔵門下に移り、「林家枝二」と改名。昭和35年(1960年)に二ツ目昇進、昭和48年(1973年)に真打昇進を果たし、昭和58年(1983年)に七代目春風亭栄枝を襲名しました。狂歌や都々逸を取り入れた独自の芸風で知られ、著書『蜀山人狂歌ばなし』も出版。また、テレビ東京のニュース番組でコメンテーターを務め、時事を風刺した狂歌を披露するなど、多方面で活躍しました。令和4年(2022年)2月9日、急性腎障害のため83歳で逝去されました。


27.春風亭小朝 (しゅんぷうてい ・こあさ)

生年月日昭和30年(1955 年)3月6日

没年月日 ご存命

本日 2026年7月19日現在 : 71歳

春風亭小朝(しゅんぷうてい こあさ)は、1955年3月6日、東京都北区に生まれた落語家で、本名は花岡宏行(はなおか ひろゆき)です。1970年、15歳で五代目春風亭柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう)に入門し、1976年に二ツ目、1980年には25歳の若さで真打に昇進しました。その際、兄弟子や先輩を36人抜きする抜擢真打として注目を集めました。独演会やテレビ出演を通じて、落語界の若手スターとして人気を博し、1990年には銀座博品館劇場で30日間連続公演を成功させました。また、1997年には落語家として初めて日本武道館での独演会を開催し、大きな話題となりました。落語以外にも、ドラマ出演やクラシック音楽とのコラボレーションなど、多彩な活動を展開しています。2020年には紫綬褒章を受章し、伝統芸能の継承と発展に尽力しています。その明るく親しみやすい語り口と、現代的な感性を取り入れた演出で、幅広い世代から支持を受けています。

63.日本おとぎ噺 「熊と狐(くまときつね)」

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昔、深い山奥に熊と狐が住んでおった。熊は大きな体でどっしり構え、正直でまじめな性格。対して狐はずる賢く、いつも知恵を働かせて楽をして暮らしていた。ある日、食べ物が乏しくなり、二匹は「一緒に食べ物を探そう」と相談する。熊は力仕事を、狐は見張りや策を担当すると決めたのだった。



ある日、熊が重い岩をどかし、立派な鹿を罠にかけることに成功した。喜んだ熊は、「お前は見張りをしていてくれ。ちょっと水を汲みに行ってくる」と狐に言い残してその場を離れた。狐はその鹿を見て思う。「これを食べたら、うまいだろうなぁ……熊のやつ、鈍いんだからバレやしないさ。」



狐はこっそり鹿の肉を少しずつ食べはじめ、ついにはぺろりと全部平らげてしまった。やがて戻った熊に、「鹿は逃げたよ。仕方ないね」としれっと言い訳をする。熊は怒りはしなかったが、その夜、ひとり森にこもって考え込む。次の日、熊は罠の場所を変え、「狐には別の場所を見張ってもらおう」と提案した。



熊は新たに罠を仕掛け、そこに狐を先に送り込み、「ここで待っていてくれ」と言った。しばらくして、狐の足元が抜けて、狐は熊の仕掛けた落とし穴に落ちてしまう。罠の底で土まみれになった狐は叫ぶ。「おい熊!冗談だろう!」熊は上から静かに言った。「鹿が逃げたって? 今度はお前が逃げてみろ。」その日以来、狐はこの山を出ていったという。


『宮沢賢治・光と風の物語』第六回「オツベルと象」

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オツベルの大きな農場では、多くの百姓が忙しく働いていた。そこへある日、真っ白な象が森から現れる。オツベルは驚きながらも、やさしい言葉で象を誘い、農場に置くことにした。象は人々と一緒に働けることを喜び、重い荷物を運び始める。明るい日差しの下、白い体は美しく輝いていた。



オツベルは次第に象へ無理な仕事を命じるようになった。象は稲束や材木を運び、休む間もなく働かされる。食べ物も少しずつ減らされ、丈夫だった体は日に日に痩せていった。それでも象は文句を言わず、夜空の月を見上げながら仲間の象たちを思う。農場には冷たい風が吹き、象の白い姿は寂しく浮かんでいた。



弱りきった象は、月へ仲間を呼んでほしいと願った。その思いは風に乗って森へ届き、象の群れが救出に向かう。大地を響かせながら進む象たちに、農場の人々は恐れおののいた。オツベルは扉を閉めて防ごうとするが、象たちは力を合わせて柵を破り、捕らわれていた白象のもとへ駆け寄った。



仲間に助け出された白象は、森へ帰ることができた。象たちは喜び合い、朝の光の中をゆっくり進んでいく。農場には壊れた柵と静けさだけが残り、欲深いオツベルの姿は見えなかった。白象は何度も振り返りながら、仲間と共に風の渡る森の奥へ消えていった。自由を取り戻した白い体は、朝日にまぶしく輝いていた。


27.『古典落語』「火事息子(かじむすこ)」

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江戸の町、火事と喧嘩は江戸の華。とりわけ火事には町人の血が騒ぐ。ある材木屋の若旦那・徳三郎は、その火事に取り憑かれたような男。火の手が上がれば、どこからともなく駆け出して行き、火消しのまねごとをする。店の者も親も手を焼くほどの“火事狂い”。折しも、そんな徳三郎に婿入りの話が持ち上がるが、相手先は名門の道具屋。火事好きが知れれば台無し、親は「お前は火事を忘れろ」ときつく言い聞かせる。



婿入りを控えたある日、徳三郎は「火事なんぞ、もう興味もない」と殊勝な様子を見せ、ついには祝言の日を迎える。白無垢の花嫁、立派な支度、格式ある披露の場──だがその最中、町内に「火事だ!火事だ!」の声が響き渡る。瞬間、徳三郎の顔つきが変わる。「いけねぇ、あっしゃ行かなくちゃ!」と、花婿衣装のまま飛び出そうとする姿に、周囲は唖然。使用人たちが押しとどめるも、火の粉とともに心が燃え上がる徳三郎。



なんとか場を取り繕うが、徳三郎の火事への情熱は抑えきれない。その後も火事の度に家を抜け出し、頭に手ぬぐい、袴姿で火事場へ馳せ参じる。ある時などは、燃え盛る屋根に登って消火の真似をし、まるで火消しの頭のような気取りぶり。だが、当の火消しからは「素人がしゃしゃるな!」と怒鳴られる始末。婿入り先でも問題になり、ついに義父母が「こんな男とはやっていけない」と追い出されてしまう。



戻ってきた徳三郎に、父親は「お前の火事好きも度を越している」と激怒。だが、息子はしれっとして、「火事が来たら、誰かがやらなきゃなりません」と言い張る。だが、その姿にどこか町人らしい真っ直ぐさが漂い、親もついには「まぁ、火事のときはせめて内緒で行け」と折れる。江戸の空には今日も火の見櫓の半鐘が鳴る。徳三郎のような“火事息子”もまた、江戸の風情の一つなのかもしれない。


62.日本おとぎ噺 「さだ六とシロ(さだろくとしろ)」

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むかしむかし、ある村に「さだ六」という心の優しい男が住んでいた。日々まじめに働いていたが、貧しく一人暮らし。そんな彼の唯一の友は、白い犬の「シロ」だった。シロは人懐っこく、いつもさだ六のそばにいて、畑仕事にもついてくる。村の人々も、二人を見てはほほえましく思っていた。



ある日、村で火事が起こる。さだ六の住む長屋も巻き込まれ、夜のうちに焼け落ちてしまった。火の粉が舞う中、さだ六はなんとか命からがら逃げ出したが、シロの姿が見えない。彼は必死に名を呼びながら探したが、シロは見つからなかった。悲しみに沈むさだ六は、瓦礫の中で一夜を明かす。



数日後、さだ六が焼け跡を歩いていると、一人の旅の僧に声をかけられる。「このあたりで、白い犬を見かけなかったかのう」——僧の話によると、火事の夜、白い犬が井戸に落ちた子どもを助けて逃げたという。そしてその後、力尽きたように倒れていた、と。さだ六が僧に連れられて山裾の祠へ行くと、そこに小さな墓があり、「シロの霊を祀る」と記されていた。



さだ六は涙を流しながらシロの墓に手を合わせた。「お前は、最後まで人の役に立ってくれたんだな……」——それからさだ六は、村の子どもたちにシロの話を語るようになった。村では火事の供養にシロの霊を祀るようになり、祠には今も白い犬の像が立っているという。