江戸の町がにぎわいを増すにつれ、人々の暮らしには笑いが求められるようになった。大名も町人も、長屋の裏でも茶屋の中でも、日常の可笑しみや滑稽な出来事が語られ、それが「小咄(こばなし)」として形を成していった。もとは仲間内での口遊びや座興のひとつ。短く、洒落ていて、オチ(サゲ)でくすっと笑わせる、それが江戸小咄のはじまりだった。

やがて寺社の境内や見世物小屋、さらには寄席の舞台で、こうした小咄を語る者たちが現れた。初期の語り手は「咄家(はなしか)」と呼ばれ、身振りや声色で話を盛り上げ、庶民の喝采を集めた。江戸中期になると、与太郎や八五郎といった型物の登場人物が定着し、話は次第に長く、巧みに構成され、「落語(らくご)」として確立してゆく。笑いだけでなく、皮肉や風刺、人情噺も語られるようになり、多様な世界が広がった。

落語はただの笑い話ではない。商売の苦労、夫婦の情、貧乏の中にも見える誇り。江戸小咄には、そうした“粋”と“人情”がさりげなく織り込まれている。たとえば、「時そば」では一文をめぐる間抜けなやり取りに、時代の風情がにじみ、「芝浜」では一杯の酒と一枚の財布が、夫婦の絆を描き出す。江戸の空気を知るには、これらの小咄を聞くのが一番とさえ言われた。

時は流れ、江戸は東京となっても、小咄や落語は生き続けている。明治以降、三遊亭円朝らの名人が芸を高め、録音や書籍で記録され、今なお寄席で、テレビで、舞台で人々を笑わせている。笑いのなかに映るのは、どこか懐かしい、江戸という時間。落語とは、粋と間と哀しみとを乗せた、人情の乗り物なのでござんす。

これから『おとぎ噺』,『江戸小咄』、『落語』の要約版を紹介していきます。話芸なので文字にすると面白さは半減します。その要約版なので面白くもないと思いますが、こんな話と思っていただければ。番号は1話完結なので整理の都合上の番号なので意味はありません。