語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

65.日本おとぎ噺 「七夕さま(たなばたさま)」

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むかしむかし、天の神さまには、機織りが得意な美しい娘「織姫(おりひめ)」がいました。織姫は毎日、雲のようにふわりとした着物を織っては、天の神さまに仕えていました。娘の働きぶりを喜んだ神さまは、ある日、まじめで牛の世話に励む若者「彦星(ひこぼし)」を婿に迎えさせました。



織姫と彦星は結ばれると、うれしさのあまり日々の仕事を忘れ、二人で遊んでばかり。天の布は織られず、牛もやせ細ってしまいました。怒った天の神さまは、ふたりを天の川の両岸に引き離し、「心を入れかえたなら、年に一度だけ会わせてやろう」と言い渡しました。



それからというもの、ふたりは心を入れかえ、それぞれの仕事にまじめに励みました。そして、七月七日の夜。天の川には無数のカササギが羽ばたき、ふたりのために橋をかけてくれました。織姫と彦星は久しぶりに橋の上で再会し、喜びに涙しました。



この再会を祝って、地上の人々も星に願いをかけるようになりました。笹に願いを書いた短冊を吊るし、星空を見上げて願う人々の心は、空の二人のように清らかです。こうして七月七日は「七夕(たなばた)」として今に伝えられているのです。


『宮沢賢治・光と風の物語』第八回「雪渡り」

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雪が固く凍った月夜、四郎とかん子は、雪の上を渡って森へ出かけた。二人が「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」と歌いながら進むと、白い雪は青く光り、冷たい風が木々を鳴らした。森の入り口で、二人は白い狐の子、紺三郎と出会う。人間と狐は互いを怖がっていると聞いた二人は、自分たちは狐を疑わないと答えた。



紺三郎は、狐の学校で開かれる幻燈会へ二人を招待した。約束の日、四郎とかん子は、凍った雪原を渡って森へ向かった。会場には大勢の狐の子が集まり、木の実や魚を使った幻燈が映し出された。狐たちは、人間にだまされないための勉強をしていた。二人は少し驚きながらも、狐の世界を興味深く見つめた。



幻燈会のあと、狐たちは四郎とかん子に黍団子を差し出した。狐の食べ物には毒があるという噂を思い出し、二人は一瞬ためらった。しかし紺三郎のまっすぐな目を見て、疑うことこそ相手を傷つけるのだと気づく。四郎は先に団子を食べ、かん子も続いた。団子は甘く、狐たちは安心したように笑った。



四郎とかん子は狐たちに別れを告げ、月の光が満ちる雪原を家へ帰った。狐も人間も、知らない相手を噂だけで決めつければ、いつまでも友達にはなれない。二人の足跡は白い野原の上へ長く続き、森からは狐たちの歌声が風に乗って聞こえてきた。冷たい雪の夜は、不思議な温かさに包まれていた。


28.『江戸小咄』「牽頭持(たいこもち)」

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芝居町の路地裏、色町の花街では、芸者衆に囲まれて賑やかに立ち回る一人の男がおりました。名は彦三(ひこさ)、商売は牽頭持(たいこもち)。芸も口も達者で、座敷の場を和ませるその姿に、芸者も客も腹を抱えて笑うほど。

「粋な芸と気の利いた冗談、それがあっての夜の華よ」とは、町人の評判。



ある日、若旦那の連れで初めて座敷に呼ばれた田舎侍が、彦三の芸を見て首をかしげる。

「なるほど、これが江戸の芸人か。だが、女の尻を追って騒いでるだけでは、武士の道とはほど遠いな」

その言葉を聞いた彦三、にっこり笑ってこう切り返す。

「へぇ、武士の道は刀一本、拙者の道は扇子一本。斬らずに笑わせるのが、あっしの芸でござんす」



座敷にいた芸者たちがどっと笑い、若旦那も感心した様子。

けれど田舎侍は鼻で笑い、「男の恥さらしめ」と捨て台詞を残して立ち去ってしまう。

後日、その侍が道端で騙され、すっかり狼狽しているところを彦三が通りかかり、さりげなく助け舟を出す。侍は赤面しながらも礼を述べる。



「たいこもち、なかなかのものよの」と侍が呟けば、彦三は扇をくるりと回して答える。

「拙者の芸は、侍の意地も、町人の恥も、ちょいと包んで笑いに変えるものでござんす」

その夜、同じ座敷で杯を交わすふたりの姿があった――

江戸は剣ばかりが武士の道じゃない、粋と情けの通う道もまた、ひとつの武士道だったのでござんす。


64.日本おとぎ噺 「田植地蔵(たうえじぞう)」

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昔ある村に、貧しいながらも働き者で信心深い若者がいた。男は村はずれの古びた地蔵さまに、毎朝水を供え、米の飯をお供えして手を合わせていた。村の者は「そんなことしても腹はふくれぬぞ」と笑うが、男は「地蔵さまは見ておられる」と信じて疑わなかった。



ある年、村人たちは一斉に田植えを始めた。若者もせっせと田に入り働いていたが、途中で「今日は供え物を忘れた」と気づく。田仕事を抜けて、泥だらけのまま駆け戻り、慌てて供え物をして拝んだ後、また急いで田に戻った。だが、自分の分の田植えは、ほとんど手付かずのままだった。



疲れ果てて戻った若者が自分の田を見ると、なんとすでにきれいに田植えが終わっていた。驚く男に、近くの村人が「さっき、見慣れぬ僧姿の二人が、無言で手際よく植えて去っていった」と教える。男はすぐに地蔵のもとへ向かい、深々と手を合わせて涙を流した。



それ以来、村人たちも地蔵への信仰を見直し、毎朝水と米を供えるようになったという。若者はますます誠実に働き、豊かな年を重ねていった。地蔵は今も田のはずれに佇み、村を見守っているという。


『宮沢賢治・光と風の物語』第七回「狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり )」

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昔、岩手山の噴火で生まれた四つの黒い森に囲まれた野原へ、四人の百姓と家族が移り住んできた。百姓たちは森に向かい、畑を耕し、家を建て、火をたき、木をもらってよいかと尋ねる。森は「いいぞお」「ようし」と答えた。人々は丸太小屋を建て、森に守られながら新しい暮らしを始めた。



畑が実り始めた秋、四人の子どもが姿を消した。人々が狼森へ入ると、子どもたちは九匹の狼に栗やきのこを御馳走され、桃色の火を囲んでいた。翌年には農具が消え、笊森の大きな笊の下から、農具と赤い顔の山男が見つかった。人々は怒りながらも、狼や山男に粟餅を届け、いたずらを許した。



さらに開拓が進んだ秋、納屋いっぱいの粟が一粒残らず消えた。狼森にも笊森にもなく、黒坂森は、夜明け前に大きな黒い足が北へ飛ぶのを見たと告げる。人々が盗森へ向かうと、手の長い黒い男が現れ、「証拠があるのか」と怒鳴った。森は暗く揺れ、人々は恐ろしさのあまり逃げ出しそうになった。



その時、銀の冠をかぶった岩手山が空から声を響かせ、粟を盗んだのは盗森だと裁いた。盗森は自分でも粟餅を作ってみたかったのである。家へ戻ると粟は納屋へ返されていた。人々は四つの森へ粟餅を届け、盗森には一番多く分けた。それから森と人々は友達となり、毎年、冬の初めに粟餅を分け合った。