語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

30.『江戸小咄』「試合(しあい)」

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ある日、長屋に住む浪人・宗兵衛(そうべえ)が、「町内で道場破りがあった」と聞きつける。近隣の若者たちが集まる小さな道場で、見知らぬ侍が突然現れ、師範に手合わせを挑んだというのだ。師範は応じたが、たちまち打ち負け、道場の看板まで持ち去られてしまった。浪人の血が騒いだ宗兵衛は、見物人たちの証言を頼りに、その侍を探し出す決意をする。



数日後、町外れの茶屋に、その侍が現れるという噂が流れる。宗兵衛は一人、木刀を携え、茶屋へと向かう。すると、そこには確かに、悠然と茶をすする男がいた。年の頃は三十前後、着物の袖から見える腕には鍛えられた筋が浮き、只者ではない風情。宗兵衛は丁寧に名乗りを上げ、「町人に剣の誇りを傷つけられてはたまらぬ」と試合を申し込む。男は笑みを浮かべ、「望むところ」と立ち上がる。



試合は、茶屋裏の竹林で行われた。静まり返る中、木刀が交わる音が響く。宗兵衛は老いてなお冴える太刀筋を見せるが、男の技は一段も二段も上。まるで風のように身をかわし、わずか三合で宗兵衛の木刀を打ち払う。その場に膝をついた宗兵衛に、男は木刀を下げ、「剣とは人を打つためにあらず、己を磨く道でござろう」と静かに語る。宗兵衛は深く頭を垂れ、言葉を失った。



その後、男は名も告げずに去っていった。宗兵衛は道場へ戻り、破られた看板を拾い上げると、新たに書き直した。「心技道場」と――。それからは、町の子どもたちにも稽古を開き、剣だけでなく礼と情けも教えるようになった。

――江戸の町には、名もなき達人がふらりと現れては、心に一本の筋を通していく。剣の道もまた、人を磨く“粋”のひとつだったのでござんす。


68.日本おとぎ噺 「イワナの怪(いわなのかい)」

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昔、山奥の村に一人の猟師がおった。ある晩、山の沢で仕掛けを見回っていたところ、大きな岩魚(イワナ)を見つけた。あまりの大きさに驚きつつも、これはめったにない獲物と喜び、家へ持ち帰って焼いて食べようとする。だがその夜、猟師の家のまわりで不気味な足音がし、戸がガタガタと揺れ、恐ろしい唸り声が聞こえてくる。



猟師は恐ろしくなって戸を開けずに布団をかぶって震えていた。翌朝、戸の前には大きな濡れた足跡と泥が残されていた。村の年寄りに話すと、「それは山の主かもしれん、イワナには魂が宿るという話もある」と語られる。猟師は怖くなり、残りのイワナを沢へ返すことにした。



だが、それで終わりではなかった。その晩、猟師の夢に人の顔をした巨大なイワナが現れ、「なぜわしを食った」と問いかけてくる。目を覚ました猟師は汗びっしょりで、胸が苦しくなっていた。恐ろしくなった猟師は神仏に詫び、供物を持って沢に祈りを捧げた。



それからというもの、猟師は動物でも魚でもむやみに獲って食うことをやめ、山の神に感謝しながら慎ましく暮らすようになった。村人たちも「山の恵みには心して手を出せ」と言い伝えるようになり、イワナの怪は、今も山にひっそりと生きているかもしれぬ…と語り継がれている。


『宮沢賢治・光と風の物語』第十一回「月夜のでんしんばしら」

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ある晩、少年の恭一は、ぞうりを履いて鉄道線路のそばを歩いていた。空には九日の月が浮かび、月光を含んだうろこ雲の間から、冷たい星が光っている。遠くの停車場には赤や紫の明かりがともり、夜の中に大きな城が立っているように見えた。静かな風と電線のうなりに包まれながら、恭一は不思議な夜道を進んでいった。



突然、線路沿いに並んでいた電信柱が、片脚を上げて北へ歩き始めた。柱たちは瀬戸物の飾りを肩につけ、亜鉛の帽子と針金の槍を身につけた兵隊のような姿である。「ドッテテドッテテ」と軍歌を歌い、工兵隊や竜騎兵を名乗りながら、次々と恭一の前を通り過ぎた。疲れて倒れそうな柱まで、仲間に励まされて歩き続けていた。



行進する柱のそばから、黄色い顔をした小柄な老人が現れ、「お一二」と号令をかけた。老人は恭一に、自分はすべての電気を率いる「電気総長」だと名乗り、握手を求める。手を握った途端、青い火花が散り、恭一の体に電気が走った。老人は得意そうに電気や電報の話を語り、規律正しく進む電信柱の軍隊を自慢した。



遠くに汽車の赤い明かりが見えると、電気総長は慌てて全軍に停止を命じた。電信柱は一瞬で元の位置へ戻り、軍歌もいつもの電線のうなりへ変わる。暗い客車を見た総長は列車の下へ潜り込み、やがて窓が一斉に明るくなった。子どもの喜ぶ声を残して汽車は走り去り、月は雲へ隠れた。線路には再び静かな夜が戻った。


29.『古典落語』「粗忽長屋(そこつながや)」

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江戸の下町、長屋暮らしの熊さんが浅草観音の帰りに、道端で倒れている死体に出くわす。よく見れば、それはどう見ても長屋の隣人・八五郎にそっくり。「これは一大事だ」と慌てた熊さんは、急いで長屋に戻り、大家を巻き込み「八っつぁんが死んでるぞ!」と騒ぎ立てる。大家も驚き、確認のために皆で浅草へ向かうことに。



一行が死体のある現場へ駆けつけると、やはりその男は八五郎に瓜二つ。そこへ、なんと本人の八五郎がひょっこり現れ、「どうしたどうした」とのんきな顔で尋ねてくる。熊さんは死体を指差し、「お前が死んでるんだよ!」とまさに本末転倒。周囲の者も口をあんぐり。だが八五郎は自分でも混乱してきて、「たしかに似てる、いや、もしかしたら本当に自分が死んでるのかも……」と、自分の死を疑い始める始末。



大家が「そんな馬鹿な話があるか」と怒るも、八五郎はどこか本気。「俺はあんまり粗忽だから、生きてるつもりで、もう死んでるのかもしれねぇ」と呟く。熊さんも「お前の粗忽ぶりならありえる」と妙に納得。ついには「せっかくだから本人に確認してもらおう」と、死体を担いで長屋まで運ぼうという騒ぎに。人だかりができ、道行く者まで巻き込まれていく。



ようやく役人が登場し、死体の身元を確認。結局、まったくの別人と判明する。八五郎は「なんだ、俺じゃなかったか」と胸をなでおろす。だが熊さんは、「やっぱりな、そうだと思ってたんだ」と最後まで強がり。大家は呆れつつも、長屋の連中はどこか楽しげ。江戸の町には、こんな風に粗忽でお人好しな連中がいて、そこに滑稽と人情が同居する。笑いながら、どこかほっとするような、そんな一席であった。


67.日本おとぎ噺 「耳なし芳一(みみなしほういち)」

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盲目の琵琶法師・芳一(ほういち)は、壇ノ浦の戦いを語る琵琶の名手として知られていた。彼が暮らしていたのは阿弥陀寺という寺で、日々琵琶を奏でながら静かに暮らしていた。ある晩、見知らぬ侍が芳一を訪ねてきて、「我が主が琵琶を聞きたい」と連れ出す。芳一は導かれるまま、侍に手を引かれ、豪奢な御殿のような場所へ向かうのだった。



連れて行かれた場所には多くの貴族や武士が並び、芳一の奏でる「平家物語」に聴き入っていた。だが芳一には、それが死人の集まりとはわからず、ただ心を込めて語り弾くのみ。夜が明けると侍はまた芳一を寺へ送り届け、数日間そのやりとりが続いた。



和尚は芳一の異変に気づき、問いただす。芳一は亡霊のことを語り、和尚は恐れつつも策を練る。「体中に般若心経を書けば、霊には見えなくなる」という教えに従い、芳一の全身に経文を墨で書きつけた。しかし、耳だけは書き忘れてしまっていた。



その夜、侍が再び訪れ、芳一の姿が見えないことに困惑する。しかし耳だけが浮いているように見えたため、「これだけでも主のもとへ」と、耳を引きちぎって持ち帰ってしまう。翌朝、耳から血を流す芳一を見て、和尚は涙を流す。その後、芳一は名を「耳なし芳一」とし、より一層の法力と名声を得たという。