語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

『宮沢賢治・光と風の物語』 第十三回「グスコーブドリの伝記」第3話 赤ひげの主人と農業の苦労/全6話

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新しい働き口を探して旅を続けたブドリは、広い沼ばたけを持つ赤ひげの主人に出会った。主人はぶっきらぼうながら働き手を求めており、ブドリを農場に置くことにした。ブドリは住む場所と食事を与えられ、今度こそ自分の力で暮らしていこうと懸命に働き始めた。



ブドリの仕事は、沼の水をくみ出し、泥深い土地を耕して作物を育てることだった。朝早くから鍬を振るい、水路を直し、重い農具を運ぶ毎日が続いた。工場とは違う厳しい仕事だったが、ブドリは弱音を吐かず、赤ひげの主人に教わりながら農作業を覚えていった。



懸命に働いても、農作物は思いどおりには育たなかった。冷たい風や長雨、病害虫によって、せっかくの苗が弱り、収穫が減ることもあった。赤ひげの主人は不機嫌になり、空をにらみながら何度も畑を見回った。ブドリは、人の努力だけでは自然に勝てない農業の難しさを思い知った。



不作が続き、農場の暮らしは苦しくなった。赤ひげの主人はブドリに十分な賃金を払えなくなり、ここではもう雇えないと告げた。ブドリは主人を恨まず、農業の苦労を教えてくれたことに礼を述べた。そして再びわずかな荷物を背負い、自分の知識を生かせる新しい仕事を求めて旅立った。


31.『江戸小咄』「上り兜(あがりかぶと)」

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春の陽気な日和、上野の山では花見客でにぎわっていた。町人たちも晴れ着に身を包み、酒肴を広げて浮かれるなか、一人の浪人がぼろぼろの羽織をまとい、無言で人波をかき分けて歩いていた。肩には古びた風呂敷包み、腰には刀一本。子供たちが「お侍だ」と囁くが、その顔つきはどこか冴えず、場にそぐわぬ寂しさをまとっていた。



その浪人が立ち止まったのは、町の兜職人・宗八(そうはち)の店先だった。彼はかつて名のある武家に仕えていたが、主家が断絶し浪々の身。包みの中身を取り出すと、それは金色に輝く見事な「上り兜」。戦で名を馳せた先祖伝来の品である。浪人は静かに言う。「売りとうございます」。宗八は一瞬驚きつつも、武士の面目を傷つけぬよう丁重に値をつけ、浪人もまた黙してうなずく。



その夜、宗八は近所の酒屋で浪人と偶然再会する。酒を酌み交わすうちに、浪人はぽつりぽつりと語り出す。「この兜、戦で折れぬよう願かけして…それが我が家の“上り兜”でした」。だが、今や戦もなく、家も断絶し、自らも食うに困る日々。涙は見せず、ただ杯を空けて笑う姿に、宗八は胸を締めつけられる。江戸の町のどこかで、そんな過去を背負う男たちが静かに暮らしている――それが時代というものなのかもしれぬ。



後日、その兜は宗八の店先に飾られた。「非売品 名工之作」と札が下げられ、誰も値をつけられぬようになっていた。通りすがりの客が問えば、宗八は笑って答える。「江戸にも、こんな誇りがあったんでござんす」と。
――誇りとは、金で量るものでなく、時を超えて人の心に残るもの。上り兜は、静かに春の日差しを受けながら、江戸の片隅で今日も輝いていた。


71.日本おとぎ噺 「あずきとぎ」

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昔々、ある山里に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ふたりは畑仕事をして静かに暮らしていました。村人たちのあいだでは、山の奥の小川から「小豆(あずき)をとぐような音」が聞こえてくるという噂がありました。
「ザッ、ザッ…ザク、ザク…」と、夜になると聞こえてくるその音に、「あれは“あずきとぎ”の妖怪の仕業だ」とみんなは恐れていました。



ある日、若い男が「どうせ風の音か何かだろう」と、噂を信じずに確かめに行くことにしました。
夜になると一人で山の小川のほうへ向かい、じっと耳をすませます。すると、木々の間からたしかに「ザクッ、ザクッ」と、小豆をとぐような音が聞こえてきました。音のするほうへ進むと、小さな石の上にしゃがみこみ、桶に向かって何かをしている小さな人影が見えました。

男が「誰だ!」と声をかけると、その影はパッと姿を消し、音だけが山にこだましました。



男は家に帰ったあとも、耳から「ザクッ、ザクッ」という音が離れませんでした。食事をしていても、小豆のようなものがご飯に混じっていたり、夜になると家の戸をトントンとたたく音が聞こえるようになりました。
それから男はだんだんと元気がなくなり、数日後にはふらふらと山へ行って帰らなくなってしまいました。村人たちは「やはり“あずきとぎ”に取り憑かれたのだ」と噂しました。

それ以降、誰も軽々しく山へは入らなくなり、あの音がしても耳をふさぎ、家の戸をしっかり閉めるようになったといいます。



それからというもの、「見てはならぬものを見てはならぬ」「自然には人知を超えた存在がある」と、村人たちは子どもにも話して聞かせるようになりました。
山からは今でもときおり小豆をとぐような音が聞こえることがあり、人々はそれを静かに受け止め、自然への敬意を忘れずに生きるようになったのです。


『宮沢賢治・光と風の物語』 第十三回「グスコーブドリの伝記」第2話 家族との別れと工場生活/全6話

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飢えが深まる森で、父は家族の食べ物を探すため家を出たまま戻らなかった。やがて母も、弱ったブドリと妹ネリを残し、吹雪の中へ姿を消してしまう。幼い二人は寒い家で身を寄せ合い、わずかな木の実を分けながら父母の帰りを待った。しかし森には風の音だけが響き、一家の穏やかな暮らしは失われてしまった。



ある日、見知らぬ男が家を訪れ、食べ物を与えるような素振りを見せた。ところが男は突然ネリを抱き上げ、そのまま森の奥へ連れ去ってしまう。ブドリは必死に追いかけたが、空腹と疲れで足が動かず、男の姿を見失った。家族全員と離れ離れになったブドリは、雪の中に立ち尽くし、妹の名を何度も叫んだ。



一人になったブドリは、森を買い取った工場主に拾われ、蚕の繭から糸を作るてぐす工場で働くことになった。工場には大きな釜や糸を巻き取る機械が並び、熱気と蒸気が満ちていた。ブドリは朝から晩まで繭を運び、機械を動かし、難しい仕事も懸命に覚えた。厳しい生活の中で、少年は働いて生きる力を身につけていった。



数年が過ぎ、ブドリは工場の仕事を一人で任されるほど成長した。しかし不景気が訪れ、てぐすが売れなくなると、工場主は工場を閉じることを決めた。ブドリは世話になった工場主に礼を述べ、わずかな荷物を背負って新しい働き口を探す旅へ出る。家族を失った悲しみを胸に抱きながら、彼は自分の力で未来を切り開こうとしていた。


『粋の極み ・笑いの匠たち』28~30

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28.春風亭柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう) 「5代目」

生年月日昭和9年(1934 年)4月2日

没年月日平成10年(1998年)9月22日

享年:65歳



5代目・春風亭柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう)は、昭和・平成期に活躍した落語家で、江戸前の歯切れよい語り口と品のある佇まいで知られました。昭和9年、東京生まれ。本名・大野誠一。春風亭柳昇に入門し、初代・柳昇の系譜を継ぐ名跡を5代目として襲名。古典落語を中心に、誠実で細やかな演出に定評があり、「芝浜」「文七元結」「芝居風呂」など人情噺を得意としました。また、NHKや寄席でもお馴染みの存在として、多くの弟子を育てました。洒脱な人柄と高座での誠実さは、多くの落語ファンの記憶に今も残る名人の一人です。


29.春風亭柳昇(しゅんぷうてい ・りゅうしょう)

生年月日大正9年(1920 年)10月18日

没年月日平成15年(2003年)6月16日

享年:82歳



春風亭 柳昇(しゅんぷうてい りゅうしょう)は、昭和から平成にかけて活躍した落語家で、新作落語の第一人者として知られています。本名は秋本 安雄(あきもと やすお) 、戦後の混乱期に落語界に入り、古典落語だけでなく、新作落語の創作にも力を注ぎました。彼の新作落語は、日常生活の些細な出来事をユーモラスに描き出し、多くの人々に親しまれました。代表作には『カラオケ病院』『結婚式風景』『与太郎戦記』などがあります。また、落語芸術協会の副会長や理事長を務め、後進の育成にも尽力しました。彼の弟子には、春風亭昇太などがいます。柳昇の功績は、落語界において今なお高く評価されています。


30.春風亭昇太(しゅんぷうてい・しょうた)

生年月日昭和34年(1959年)12月9日

没年月日 ご存命

本日2026年7月26日現在 :66歳



春風亭昇太(しゅんぷうてい・しょうた)は、静岡県出身の落語家で、落語芸術協会会長も務めた実力派。1982年に春風亭柳昇に入門、独特のテンポと明るさを活かした新作落語で頭角を現した。テレビ番組『笑点』では長らく大喜利メンバーとして人気を集め、2016年には6代目司会者に就任。高座では古典もこなしつつ、現代的な感覚を盛り込んだ語り口で若い世代にもファンを持つ。笑いの中に人間味を滲ませる演目には定評があり、メディア出演も多く、落語の普及に大きく貢献している。明るく飄々としたキャラクターで親しまれ、令和の落語界を支える一人として活躍中。