語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

34.『江戸小咄』「睾玉(きんたま)」

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ある町の長屋に住む与太郎、ある日風呂屋の帰りに町角で侍に呼び止められる。侍は真顔でこう問う。「そち、“睾玉”とは何ぞや?」与太郎は面食らい、「えぇと…金玉(きんたま)で?」と即答。侍はそれを聞いて深くうなずき、「なるほど、それがしの解釈と同じであったか」と満足気。



侍の話によれば、最近、漢籍(中国の古書)を読んでいたところ「睾玉」という語が出てきて、その意味がどうにも分からず悩んでいたのだという。学者に聞いても曖昧な答えばかり。そこで、庶民の口にこそ真実ありと、町に出て町人に尋ねていたのだった。与太郎は「やっぱり、あっしは物知りでござんすな!」と得意顔。



ところが数日後、町中で「与太郎が侍に金玉の話をした」と噂が広まり、大笑いの的に。長屋の連中も腹を抱えて笑う。「まさか、あの真面目な侍に…」与太郎は訳が分からず、笑われていることにも気づかぬまま、「おら、えらいことを教えてやったんでぇ」と鼻高々。



やがてその侍も、町の者からからかわれるようになり、姿を見せなくなったという。だが長屋では、いまだに語り草。「学問もたいしたもんだが、与太の一言にゃ敵わねぇ」――江戸の町では、教養と下ネタが交わることすら、ひとつの“粋”だったのでござんす。


78.日本おとぎ噺 「そこつ惣兵衛(そこつそうべえ)」

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昔、ある村に惣兵衛(そうべえ)という男が住んでいた。彼は働き者だが、何をしてもどこか抜けていて、村人たちは「そこつ(=そそっかしい)」と笑っていた。米俵を運べば転び、薪を拾えば水に落ち、常に何かやらかしていたが、本人はいたって陽気で気にしない。



ある日、惣兵衛は「一旗揚げてくる!」と突然言い出し、江戸へ旅立つことに。村人たちは心配しつつも見送った。道中でも惣兵衛のそそっかしさは炸裂し、草鞋(わらじ)を片方なくしたり、弁当を川に落としたりと、トラブル続き。それでも惣兵衛は「こりゃ運がええ!」と前向きだった。



江戸に着いた惣兵衛は、店で奉公するも失敗ばかり。お使いで道に迷い、帳面に墨をこぼし、客に茶をかけてしまう。ついに店主も呆れ、「惣兵衛、もう無理じゃ」と追い出してしまう。しかし、落ち込まず「江戸見物できただけで十分!」と惣兵衛は笑って村へ戻ることにする。



村に戻った惣兵衛は、旅の話を面白おかしく語り、子どもたちに囲まれる。失敗だらけの旅も、惣兵衛にかかれば笑い話。村人たちは「やっぱり惣兵衛は憎めんのう」と、ますます好かれるようになった。そして今日も惣兵衛は、笑顔で何かをやらかしている――


『宮沢賢治・光と風の物語』 第十四回「なめとこ山の熊」第3話 町の商人と小十郎の苦しみ/全4話

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小十郎は仕留めた熊の皮と熊の胆を背負い、雪深い山を下って町へ向かった。家には食べ物を待つ家族がいる。熊を撃つことに胸の痛みを感じながらも、それ以外に暮らしを支える仕事はなかった。重い荷物を担ぎ、小十郎は黙って商人の店を目指した。



町の商人は熊の皮を広げ、傷がある、毛並みが悪いなどと言って安い値をつけた。熊の胆にも難癖をつけ、小十郎が苦労して山から運んだ品を、わずかな金で買いたたこうとする。小十郎は不満を感じたが、ほかに買い手もなく、家族のために黙って耐えた。



小十郎は、熊が命を失った代わりに得られる金が、あまりにも少ないことに苦しんだ。山では熊も子を守り、懸命に生きている。その命を奪った自分にも重い悲しみが残る。しかし町では、熊の命も小十郎の苦労も、商人のそろばん一つで安く決められてしまうのだった。



わずかな金で食料を買った小十郎は、重い心を抱えて町を後にした。熊を撃ちたくないと思っても、家族を飢えさせることはできない。商人に頭を下げ、熊には心の中で詫びながら、再び山へ入るしかなかった。小十郎の苦しみは、雪深いなめとこ山の静けさの中へ消えていった。


『粋の極み ・笑いの匠たち』31~33

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31.立川談志(たてかわ ・だんし)「 7代目」

生年月日昭和11年1月2日

没年月日平成23年11月21日

享年:75歳



立川談志(たてかわ だんし) 本名松岡 克由(まつおか かつよし) は、昭和から平成にかけて活躍した日本の落語家であり、政治家でもありました。1936年(昭和11年)に東京都で生まれ、16歳で五代目柳家小さんに入門。前座名「小よし」、二つ目「小ゑん」を経て、27歳で真打ちに昇進し、五代目立川談志を襲名しました。1971年(昭和46年)には参議院議員選挙に出馬し、全国区で当選。1977年(昭和52年)まで国会議員を務めました。1983年(昭和58年)、真打ち制度などをめぐって落語協会と対立し、脱会。落語立川流を創設し、家元となりました。古典落語を現代的な感覚で表現し直す試みや、歯に衣着せぬ毒舌で知られ、多くのファンを魅了しました。2011年(平成23年)11月21日、喉頭がんのため75歳で逝去。その革新的な芸風と独自の哲学は、今もなお多くの人々に影響を与え続けています。



32.立川志の輔(たてかわ しのすけ)

生年月日昭和29年2月15日

没年月日 ご存命

本日 2026年8月2日 現在 :72歳



立川志の輔師匠本名竹内照雄 は、富山県新湊市(現・射水市)出身の落語家で、1954年(昭和29年)2月15日生まれです。明治大学在学中に落語研究会に所属し、卒業後は劇団や広告代理店での勤務を経て、1983年(昭和58年)に七代目立川談志に入門しました。1990年(平成2年)に真打に昇進し、古典落語から新作落語まで幅広く演じる実力派として知られています。特に、新作落語『歓喜の歌』は映画化されるなど高い評価を受けました。また、NHKの情報番組『ためしてガッテン』(後の『ガッテン!』)の司会を務めるなど、テレビやラジオでも活躍しています。2015年(平成27年)には紫綬褒章を受章し、2024年(令和6年)からは一般社団法人落語立川流の代表を務めています。その温かみのある語り口と人情味あふれる演目で、多くのファンを魅了し続けています。



33.立川談春(たてかわ だんしゅん)

生年月日昭和41年(1966年) 6月27日

没年月日 ご存命

本日 2026年8月2日 現在:60歳



立川談春(たてかわ だんしゅん)さんは、東京都板橋区に生まれた落語家です。本名は佐々木信行(ささき のぶゆき)さんです。1984年、17歳で高校を中退し、落語家・立川談志(たてかわ だんし)に入門。1988年に二つ目に昇進し、1997年に真打ちとなりました。古典落語を中心に活動し、特に人情噺に定評があります。2008年には、自身の修業時代を綴ったエッセイ『赤めだか』が第24回講談社エッセイ賞を受賞し、2015年にはTBSでドラマ化されました。また、俳優としても活躍し、ドラマ『下町ロケット』やNHK大河ドラマ『どうする家康』などに出演。2024年には芸歴40周年を迎え、記念公演を全国で開催するなど、精力的に活動を続けています。

77.日本おとぎ噺 「水の種(みずのたね)」

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昔々、ある村では、長く雨が降り続いていました。田畑は水に浸かり、作物は腐り、村人たちは困り果てていました。そんなある日、一人の若者が「この雨は神の怒りかもしれない」と考え、天に祈りを捧げました。すると夢の中に天の神が現れ、「この雨は“水の種”が地に落ちたためだ」と語り、「種を見つけて、天に返せば雨は止むだろう」と教えてくれました。



若者は夢の言葉を信じ、村中を探し回ります。山へ、谷へ、田んぼの底まで見て歩きました。ある日、村外れの大岩の裂け目から、光る雫のようなものがぽとりと湧いてくるのを見つけます。それはまるで種のような形をしており、水を滴らせながら不思議な光を放っていました。「これが水の種かもしれない!」と若者は感じ、慎重にそれを布に包みます。



水の種を手にした若者は、どうやってそれを天に返すのか悩みます。すると、村の古老が「昔、天へ続く山があった」と語ります。若者は険しい山を登り始め、道中で風の精や雷の使いに試されながらも、誠意と知恵で乗り越えていきます。ついに山頂で、雲の中から現れた天の神に水の種を差し出すと、神はうなずき、それを天へと持ち帰ります。



神が天に戻ったその日から、雨はぴたりと止みました。太陽が久々に顔を見せ、村の田畑は息を吹き返します。若者の行いは村中に語り継がれ、「困ったときは天に耳を傾けること」「自然と向き合う心を忘れぬこと」として、教訓となりました。村人たちは感謝を込めて、山のふもとに「水の神」を祀る祠を建てました。