語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

『粋の極み ・笑いの匠たち』34~36

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34.立川志らく(たてかわ しらく)

生年月日昭和38年(1963年) 8月16日

没年月日 ご存命

本日 2026年8月9日現在 :62歳



立川志らくさんは、東京都世田谷区出身の落語家であり、映画評論家や映画監督としても活躍しています。1985年、日本大学芸術学部在学中に七代目立川談志に入門し、1988年に二つ目、1995年に真打に昇進しました。古典落語に加え、映画を題材にした「シネマ落語」など独自の創作活動でも知られています。また、テレビ番組のコメンテーターや俳句番組への出演など、多方面で活躍しています。現在、落語立川流の副代表を務め、弟子も多数抱えています。その幅広い活動と独自の視点で、落語界に新たな風を吹き込んでいます。


35.林家木久蔵(初代、後の木久扇)

生年月日昭和12年(1937年) 10月19日

没年月日 ご存命

本日 2026年8月9日現在 :88歳



林家 木久扇(はやしや きくおう )本名豊田 洋(とよたひろし)は、東京市日本橋区に生まれた落語家である。高校卒業後、漫画家・清水崑の書生を経て、昭和35年(1960年)に三代目桂三木助に入門。師匠の死去後、八代目林家正蔵門下に移り、「林家木久蔵」を名乗る。昭和40年(1965年)に二ツ目、昭和48年(1973年)に真打昇進。昭和41年(1966年)から日本テレビの演芸番組『笑点』に出演し、長年にわたり親しまれた。平成19年(2007年)には、息子と共に「ダブル親子襲名」を行い、自身は「林家木久扇」と改名。落語のみならず、漫画、絵画、ラーメン店経営など多彩な活動を展開し、ユーモアと温かみのある芸風で多くの人々に愛された。


36.林家正蔵(はやしや しょうぞう) (初代・彦六)

生年月日明治28年(1895年) 5月16日

没年月日昭和57年(1982年) 1月29日

享年:86歳



東京府荏原郡品川町(現在の東京都品川区)出身で、三代目三遊亭圓遊の門下として芸の道に入りました。その後、複数の名跡を経て、昭和25年(1950年)に八代目林家正蔵を襲名しました。彼は芝居噺や怪談噺を得意とし、特に「牡丹灯籠」や「淀五郎」などで高い評価を受けました。また、三遊亭円朝の芸風を継承し、古典落語の保存と発展に尽力しました。晩年には林家正蔵の名を返上し、「林家彦六」と名乗り、落語協会の副会長や顧問としても活動しました。その功績により、紫綬褒章や勲四等瑞宝章などを受章し、落語界に多大な貢献を果たしました。

「私の与太話」「子ども・子育て支援金」

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後期高齢者医療保険料額決定通知書が届いた。毎年のことなので、また保険料の通知かと何気なく眺めていたら、見慣れない文字が目に入った。「子ども・子育て支援金」。ん? 私はもう後期高齢者である。子どもはとっくに独立し、孫まで大きくなった。それでも、どうやら私も子育てに参加するらしい。



もちろん、子どもを育てやすい国にすることには賛成である。若い夫婦の負担を軽くするのも必要だと思う。しかし国は、お金が必要になると実に上手に国民の財布を見つける。こちらは働いて給料を増やすこともできず、頼りは毎月の年金だけ。その年金から、保険料だ税金だ支援金だと、少しずつ手取りが減っていく。



現役世代なら「来年は昇給を」と期待することもできる。ところが年金暮らしには昇給の相談相手がいない。「物価が上がりました」「負担が増えました」と言われても、年金に「では来月から一万円増やしてください」と頼むわけにもいかない。国は「みんなで支えましょう」と言うが、支えられる側のはずの私まで、いつの間にか支える側に回っている。



通知書を見ながら妻に言った。
「七十八にもなって、また子育てをすることになったぞ」
妻が笑った。
「今度は誰を育てるの?」
私は通知書をたたんで答えた。
「分からん。ただ一つ確かなのは――子どもより先に、国の制度がどんどん育っていること

だ。」


84.日本おとぎ噺 「かみそり狐(かみそりぎつね)」

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昔、ある村に「かみそり狐」と呼ばれるずる賢い狐が住んでいた。化けるのが得意で、人間をだましては笑っていた。とくに好物は髪の毛で、町の床屋からこっそり髪を盗んでは山へ逃げ帰るという奇妙な習性があった。人々は恐れてその狐に関わらぬようにしていた。



ある日、若い床屋の新米・市助(いちすけ)が狐に騙されて髪をすべて盗まれてしまった。悔しがる市助に、古老が「その狐には弱点がある。かみそりの匂いが苦手なんじゃ」と教える。市助はさっそく鋭いかみそりを磨き、狐退治の策を練った。



次の晩、また狐が市助の店に現れ、老人に化けて髪を切ってくれと頼んできた。市助は気づかぬふりをして、狐の頭に布をかけ、かみそりの匂いをかがせた。狐はくしゃみをし、しっぽを出してしまう。市助が叫ぶと、狐は正体を現して逃げ出したが、逃げる途中で石にぶつかり、気を失ってしまった。



村人たちに見つかった狐は、以後二度と悪さはしないと約束して山へ帰った。それ以来、村では狐が髪を盗むことはなくなり、「かみそり狐」は人々の語り草となった。市助は立派な床屋となり、「狐すら黙る腕前」と称されたという。


『宮沢賢治・光と風の物語』第十六回「祭の晩」第1話 祭りの夜と山男との出会い/全4話

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祭りの晩、亮二は胸をはずませながら、村のにぎやかな通りへ出かけた。提灯の明かりがゆれ、太鼓や笛の音が夜気に流れ、屋台には団子や飴、見世物小屋が並んでいる。子どもたちも大人たちも浮き立ち、村じゅうがいつもと違う華やぎに包まれていた。



亮二は人ごみを縫うように進みながら、店先をのぞいて祭りの景色を楽しんだ。焼き物の匂い、笑い声、遠くの囃子が重なり、夜の村はまるで別世界のようだった。そのとき、一軒の団子屋の前に人だかりができているのに気づき、何事かと足を止めた。



人だかりのまんなかには、ひどく大きな男が立っていた。髪も顔つきもどこか荒々しく、着物も普通の村人とは違って見える。その男は団子を食べたらしいが、どうも困り果てた顔で立ちすくみ、店の主人や見物人に囲まれていた。亮二は、その異様な姿に驚きながらも目を離せなかった。



ただの酔っぱらいとも旅人とも違う、その大男には、山のにおいをまとった不思議な気配があった。祭りの明るさの中に、急に山の闇がまぎれこんだようで、亮二は胸をどきどきさせた。こうして祭りの夜、亮二は後に忘れられない出来事の相手となる山男に、はじめて出会ったのである。


36.『古典落語』「三方一両損(さんぽういちりょうぞん)」

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大工の熊五郎、腕は立つが気性が荒く、喧嘩っぱやいことで近所でも知られた存在。ある日、仕事帰りに財布を拾った。中には三両。真っ当に届けようと、名乗り出を待つことにしたが、なかなか現れぬ。やがて、持ち主の左官・八五郎が名乗りを上げた。熊五郎は「拾い主に届け出るとは殊勝な心がけ」と言って財布を返そうとするが——。

ところが八五郎、「拾ってくれたのはありがたいが、銭はもう諦めたつもりだったので、いまさら受け取るわけにはいかない」と辞退する。それに熊五郎が激怒。「この俺の真心を無にする気か」と言って受け取らせようとすれば、八五郎は「恩に着るが、筋が通らぬ」と一歩も引かぬ。町の衆も集まって大騒ぎ、しまいには「町奉行に裁いてもらおう」という話に。

お奉行様は名高き大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)。二人の言い分を聞き、「拾った者は返す、落とした者は受け取る。それが人の道理。しかし、どちらも筋を通しすぎて一歩も譲らぬ。ならば、この越前守が一両を足して、合わせて四両。熊五郎に二両、八五郎に二両、それぞれ納めよ」と言い渡す。

二人は顔を見合わせ、深く頭を下げる。「三人で一両ずつ損をしたが、心は晴れた」と口を揃える。江戸っ子の意地と情、そして奉行の見事な裁きで、町には爽やかな風が吹いた。まこと、粋で洒落た人情噺の一席。