語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

『粋の極み ・笑いの匠たち』16~18

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16.三遊亭円歌(さんゆうていえんか)「3代目」

生年月日昭和7年(1932年)1月10日

没年月日平成29年(2017年)4月23日

享年:85歳



三代目 三遊亭圓歌は、昭和7年(1932年)に東京・向島で生まれ、戦後の落語界を代表する名人の一人です。1945年に二代目三遊亭円歌に入門し、前座名「歌治」を名乗った後、二代目「三遊亭歌奴」を襲名。1958年には戦後入門者として初の真打ちに昇進しました。代表作『授業中』では、吃音を逆手に取ったユーモラスな語り口で人気を博し、テレビやラジオでも活躍。1970年に三代目「三遊亭圓歌」を襲名後は、『中沢家の人々』などの新作落語で高座を盛り上げました。また、1985年には日蓮宗で得度し、僧侶としての顔も持ちました。1996年から2006年まで落語協会会長を務め、落語界の発展に尽力しました。2017年に85歳で逝去されましたが、その功績と芸風は今も多くの人々に愛されています。



17.三遊亭円生(さんゆうていえんしょう)「6代目」

生年月日明治34年(1901年)10月12日

没年月日昭和54年(1979年)9月3日

享年:77歳



六代目・三遊亭円生(さんゆうてい えんしょう)は、昭和を代表する名人落語家の一人。元は講談師の家に生まれ、幼くして三遊亭円窓に入門、その後は多くの師匠を経て芸を磨き、昭和21年に六代目円生を襲名。滑稽噺から人情噺、怪談噺に至るまで幅広い演目を持ち、「名人芸」と称された。とりわけ『芝浜』『首提灯』『文七元結』などの人情噺では、情感豊かな語り口で多くの聴衆を魅了した。また、録音媒体を通じて昭和の名演を多く遺し、後世の落語家やファンにとっての“教科書”ともなっている。昭和54年、現役のまま逝去。落語界に残した功績は大きく、没後も「最後の名人」と称され続けている。



18.三遊亭圓楽(さんゆうていえんらく)「5代目」

生年月日昭和7年(1932年)12月29日

没年月日平成21年(2009年)10月29日

享年:76歳



五代目三遊亭圓楽(本名:吉河寛海)は、昭和7年(1932年)12月29日、東京都台東区浅草に生まれました。昭和30年(1955年)に六代目三遊亭圓生に入門し、三遊亭全生を名乗ります。昭和37年(1962年)に真打ちに昇進し、五代目三遊亭圓楽を襲名しました。昭和41年(1966年)から始まった日本テレビの演芸番組『笑点』に初回から出演し、昭和63年(1988年)から平成18年(2006年)まで司会を務め、番組の顔として親しまれました。また、昭和53年(1978年)には師匠の圓生と共に落語協会を脱退し、落語三遊協会を設立。その後、自身の一門を率いて「圓楽一門会」を結成し、後進の育成にも尽力しました。平成21年(2009年)10月29日、肺がんのため76歳で逝去されました。

42.日本おとぎ噺 「ねずみのすもう」

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ある日、山の中に住むおじいさんが山へ柴刈りに行くと、木陰の下で二匹のねずみがすもうをとっていました。よく見ると、一匹はやせ細っていてすぐに投げ飛ばされ、もう一匹は丸々と太ってとても強そうです。不思議に思ったおじいさんは、しばらく様子を見たあと家に戻ります。



その夜、おじいさんはおばあさんに山で見た出来事を話します。すると、おばあさんが「それはきっと、家にいるねずみだろう。あの子は最近やせているから」と言います。おじいさんたちは「かわいそうに、せめて力をつけさせてやろう」と、餅をついて、やせねずみに食べさせてやることにします。



次の日、また山へ行ってみると、前日と同じようにすもうが始まります。しかし、今日はやせていたねずみが餅の力で見違えるほど元気になっており、なんと太ったねずみを投げ飛ばして勝ってしまいます。太ったねずみは驚き、見ていたおじいさんも大喜びです。



家に帰ったおじいさんがそのことを話すと、おばあさんも大喜び。それからというもの、ねずみたちは何度もおじいさんの家にやってきては、お礼にお米や小判などを置いていくようになります。おじいさんとおばあさんは、ねずみたちとの温かな交流に幸せを感じ、静かな山の家で仲良く暮らしました。


18.『古典落語』「お見立て(おみたて)」

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江戸の色街・吉原通いに熱を上げていた若旦那・清三郎(きよさぶろう)。馴染みの花魁・花魁小糸(こいと)にぞっこんだったが、ある日ぱったりと会えなくなった。理由も告げられず、門前払いを食らうばかり。恋患いの若旦那は、日に日に痩せ細り、番頭やご隠居も心配顔。「このままじゃ病になりかねん」と頭を抱える。



見かねたご隠居は一計を案じ、「小糸に見立てた遊女」をあてがい、清三郎の未練を断たせようとする。事情を話すと、吉原の遣手婆(やりてばばあ)が快く引き受け、気立ての良い新米の女郎に声をかける。清三郎は半信半疑で再び吉原へ。灯篭の明かりが揺れるなか、用意された部屋に通される。



そこに現れたのは、小糸そっくり――いや、それ以上に艶やかで優しげな女。清三郎は驚きと戸惑いのなかで、「これは夢か幻か」と思いつつも心を奪われていく。「あなたのような方に会えて光栄です」と微笑む女に、清三郎の心は癒やされてゆく。そして彼はつぶやく。「小糸とは、もう逢わずとも良いかもしれぬ……」



やがて夜が更け、別れ際に女がポツリと呟く。「……ほんとうは、あたしが小糸なのさ」――なんと、見立てどころか“本物”の小糸だったのだ。気づかぬほどやつれていた清三郎に、直接は会えず心を痛めていた小糸が、名を伏せて再会を果たしたというわけ。涙ぐむ清三郎に、小糸はそっと手を重ねる。吉原の一室、そこに咲いたのは、粋と情の“見立て”の花であった――。


41.日本おとぎ噺 「梨とり兄弟(なしとりきょうだい)」

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昔々、ある山里に貧しい兄弟が住んでいた。兄は欲深く、弟は心優しい働き者であった。ある年の秋、村の子供たちが「山の向こうに大きな梨の木がある」と話しているのを聞いた兄弟は、「梨を採って売れば、お金になる」と考え、山を越える決心をする。



山奥を進んだ兄弟は、やがて谷底にそびえる見事な梨の木を見つける。大きくて甘い実がたわわに実り、兄は夢中で梨をもぎはじめる。「これで金持ちだ!」と喜ぶ兄は、弟の忠告も聞かず、枝に乗って高い所の実まで採ろうとする。



すると突然、木が唸るような音を立てて揺れ、兄は空中に投げ出されて谷底に落ちてしまう。弟は驚き、急いで駆け下りるが、兄は梨の木に抱かれるように倒れていた。弟は兄を抱きしめ、「欲深さを悔い改めてください」と涙ながらに祈る。



やがて兄は目を覚まし、弟にすがって泣き出す。「もう欲ばったことはしない」と誓った兄。ふたりは少しの梨を分け合って持ち帰り、村の人々と共に食べたという。梨の甘さと兄の改心の話は、いつまでも語り継がれた。


18.『江戸小咄』「初夢(はつゆめ)」

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元日の朝。長屋の八五郎(はちごろう)、新年の挨拶回りから戻るなり、女房にこう言った。
「こちとら、初夢が縁起もんだってんで、昨夜は枕の下に宝船の絵を忍ばせて寝たのさ」
女房が「そりゃめでたいねぇ」と笑うと、八五郎はふんぞり返って続けた。
「そしたらよ、夢ん中で、なんと富士のてっぺんに登って、茄子を三つ担いだ鷹が舞い降りたのさ!」
女房は呆れながらも、「そりゃあ一富士二鷹三茄子、揃い踏みだね」と感心する。



「これはきっと、今年は出世する前兆にちげぇねぇ」と、長屋中に吹聴して歩く。
酒屋の勘兵衛、ご隠居の権左衛門、どいつもこいつも笑いながら「八は夢の中だけは殿様だな」と冷やかすが、八五郎は「いやいや、今年のオレ様は違うんでぇ!」と鼻息荒い。
そのうち、本所の叔父に会う用があると出かけて行ったが――



数日後、八五郎がふらりと長屋に戻ってくる。
女房が「で、出世話はどうなったのさ」と聞けば、八五郎は渋い顔でこう呟く。
「いやあ、叔父貴んとこ行ったはいいが、初夢の話を調子づいて語ったら、『そんな浮ついた話で頼るやつがあるか!』って一喝されちまってさ」
「でもよ、帰りに浅草でおみくじ引いたら大吉だったんだ。きっとこれは……」
と懲りもせず言い出す始末に、女房は「夢より現(うつつ)を大事にしなよ」と呆れ顔。



春が来ても、八五郎に出世の話はなく、相変わらずの八百屋の手伝い暮らし。
それでも「オレの初夢はな、江戸一番の夢だったんだぜ」と語る顔はどこか誇らしげ。
ある日、ご隠居がつぶやいた。
「ま、夢で一富士二鷹三茄子、揃えられりゃ大したもんさ。現で揃えるのは、殿様でもなかなか難しいんだからねぇ」
江戸の空に春風が吹き、八五郎は今日も陽気に八百屋の荷を担ぐ。
――初夢に見るのは、宝か幻か。それもまた、江戸っ子の洒落のうちでござんす。