14.『江戸小咄』「剣術指南所(けんじゅつしなんしょ)」
江戸の町の裏手に、ひっそりと佇む一軒の剣術指南所があった。看板には「一刀流指南」とあり、師範の政五郎(まさごろう)は齢五十を越すが、今も竹刀の音高らかに稽古をつけていた。腕は確かと評判ながら、最近は門弟も少なく、ひとりの若者が通うのみ。町人たちは「もう時代じゃねえ」と囁くも、政五郎は黙々と日々を鍛錬に捧げていた。

ある日、ひとりの若侍風の男がふらりと門を叩く。名は名乗らず、ただ「剣の手合わせを」と告げる。政五郎は年の功を笑われてはならじと、快く引き受けた。立ち合いが始まると、竹刀が火花のごとく舞い、静けさに満ちた道場に凛とした気が立ち込める。だが政五郎は、手応えに何か違和感を覚える――相手の打ち込みには、妙な優しさがあったのだ。

勝負がつく。僅差で政五郎の勝ち。「なかなかの腕前、名を伺いたい」と問えば、若者は頭を下げて言う。「拙者、かつて先生の門弟でござった者――今は幕府の御留守居役の指南役を仰せつかっております」。政五郎は目を丸くし、「おぬしか……あの時の小僧か」と微笑む。かつて涙を流しながら稽古についてきた少年が、いまや立派に成長していたのだ。

別れ際、若者は静かに道場の柱に手を当て、「この柱、昔のままですね」と懐かしむ。そして懐から包みを取り出し、「これを弟子たちのために」と新しい竹刀十本を置いていく。政五郎はそれを見つめながら、しみじみと空を見上げた。「まだまだ、わしも捨てたもんじゃねえな」。
――江戸の片隅、剣の道に生きる男の誇りが、静かに揺れていた。

このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。