9.『江戸小咄』「浪人(ろうにん)」①
時は江戸の町暮れどき、辻々には提灯の灯がゆらめく頃。ある浪人が、世の荒波にもまれつつ、食うや食わずの暮らしをしておった。武士の誇りを胸に抱きながらも、刀を売り、酒に頼り、今や路地裏の長屋暮らし。隣近所も、物静かなその浪人を、どこか気の毒に思いながら、遠巻きに見ていた。

そんな折、長屋の婆さまが風邪で寝込み、薬も買えず困っていた。浪人、それを聞きつけ、何も言わずにどこかへ出かけていった。やがて戻った浪人の手には、薬種屋の包みが一つ。婆さまに手渡すと、「黙って寝ておれ」と短く言い残し、自分の部屋へ引き返した。

その晩、長屋の者たちは浪人の部屋からひときわ澄んだ三味線の音を耳にする。誰もが、「あの浪人が、こんな腕前だったとは」と驚き、聴き惚れた。そして後日、薬種屋の話から、浪人が自らの三味線を質に入れて薬代を工面したことが明らかとなる。「侍の刀は売っても、婆さまの命は売れぬ」と、浪人はつぶやいたという。

やがて婆さまの病も癒え、浪人の噂は長屋から町内へと広まり、ついにはお座敷からの三味線の頼まれごとまで舞い込むようになった。浪人は黙して語らず、ただ静かに三味線を奏でるのみ。――江戸の空に、哀しみと誇りの調べが今日も流れている。

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