語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

3.『古典落語』「法華長屋(ほっけながや)」

100えんメガネ

江戸の町はずれ、貧しいが気のいい八人の男たちが長屋に暮らしていた。ある日、その中の一人が「法華経(ほけきょう)」の信仰を始め、講(こう)という集まりに通い出す。講では信仰のありがたさを説く一方、参加者には白飯と煮しめが振る舞われるという話に、長屋中の者たちが目を輝かせた。「飯にありつけるなら、拝んでみるか」と、他の七人も次々と入信。長屋はたちまち「法華者の巣」と化す。

八人はそろって講に通い、ありがたそうな顔で題目を唱えるが、内心は「今日の煮しめは大根多めか」などと飯のことばかり。やがて彼らの様子を見咎めた町役人が、「信仰は自由だが、飯目当ての信心はよくない」と説教を垂れる。それでも彼らは「ありがたいお言葉」と拝んでごまかし、反省の色なし。近所の者たちも呆れるが、当の本人たちはどこ吹く風。

ある日、「他の宗派でも飯が出るらしい」と聞きつけた八人は、「そっちにも入るか!」と意気込みを見せる。これには町の者もついに堪忍袋の緒が切れ、長屋ごと町役場に突き出されることに。裁きの場では、町役人が「信仰は尊いが、改宗を飯のために繰り返すのは信心とは言えぬ」と一喝。だが、八人はへらへら笑って「ありがたいことで」と頭を下げるのみ。もはや手の施しようがない。

結局、改宗の取り消しもなく、「ほどほどにせよ」との忠告で一件落着。長屋に戻った八人は、「次はどこの宗派に飯が出るやら」と懲りもせず、またもや飯の匂いを追い求める始末。信仰もご都合主義で笑い飛ばす、江戸庶民のしたたかさと軽妙さが光る一席であった。