23.『古典落語』「たらちね」
江戸の長屋に住む独り者の八五郎。腕は立つが口下手で、女っ気のない暮らしを続けていた。そんなある日、大家から「年頃の良い娘がいる。婿に来てくれぬか」と話が舞い込む。まさか自分に縁談が来ようとは夢にも思わず、最初は戸惑う八五郎だったが、話を聞けば器量も悪くないとのこと。「こりゃあ渡りに船だ」と話を進め、晴れて夫婦となることになった。

いよいよ祝言の日、緊張の面持ちで新妻を迎えた八五郎。ところが、挨拶ひとつがたいそうな言い回し。「左様ならば、此のたび夫婦の契りを結び給ひ、心底嬉しう存じ奉り候……」と、まるで御公家さまか女大学そのままのような古風な言葉遣い。八五郎は呆気に取られ、「え? 今なんて言ったんだい?」と聞き返す始末。それでも新妻は、なおも文語調で話し続ける。どうやら育ちが良く、寺子屋でしっかり教育を受けたらしい。

日が経つごとに、八五郎の困惑は深まるばかり。飯の支度ひとつ頼もうにも、「朝餉の用意、何卒お心安く仰せつけ候え」などと返ってきて、意味が通じない。「こっちは腹が減ってるだけなんだ!」と怒鳴りたくなるも、どこか憎めない様子に我慢の日々。だがついには、「頼むから、もうちょっと町人らしくしゃべってくれ!」と叫んでしまう。周囲も心配し、大家が間に入って言葉を柔らかくするよう助言するが、妻は「これがたらちねの育ち」と譲らない。

ある夜、八五郎は決意して妻に語りかける。「なあ、せめて朝は“おはよう”って言ってくれないか? それだけで、心がほっとするんだ」と。妻はしばし黙し、「では、おはよう…と申せばよろしいのですね」と、ようやく一言。八五郎は大喜び。「そうそう、それでいいんだよ!」と手を叩いて喜ぶ。その日から、少しずつではあるが、妻の言葉も町人風に近づき、二人の仲も次第にほぐれてゆく。――育ちも言葉も違えど、夫婦の間に流れる情の糸が、江戸の町にやさしく結ばれていったのであった。

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