「私の与太話」「御朱印」
御朱印を集め始めたころ、私は半分は旅の記念、半分はスタンプラリーのつもりであった。神社や寺で手を合わせ、帳面を出すと、朱の印と墨の字がさらさらと入る。それだけで、ただの寄り道が、急にありがたい旅になったような気がした。

ところがある寺で、「御朱印はスタンプではありません」と言われた。こちらは帳面を出しただけのつもりだったが、寺から見れば心を出していなかったらしい。もともとは写経を納めた証だと聞き、ただ「お願いします」では虫がよすぎると気づいた。

それから御朱印帳を見る目が少し変わった。一枚一枚が観光の記念ではなく、その日にそこまで歩き、頭を下げた証に見えてくる。とはいえ信心深くなったわけではない。境内では社務所を探し、駐車場を気にし、石段を見て膝と相談している。

それでも帳面を開くと、墨のにおい、砂利の音、遠州の風、階段で息切れしたことまで戻ってくる。ありがたいのは御朱印だけではない。そこまで歩いて行けた自分の足も、なかなかありがたい。――御朱印より先に、まず膝に合掌である。――

このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。