「私の与太話」「逃げる」
私の嫌いなことは、人のせいにすることである。周りが悪い、親が悪い、時代が悪い、政治が悪い。たしかに世の中には、こちらの力ではどうにもならぬことも多い。けれど、それを全部言い訳にして座り込んでしまえば、自分の足まで人に預けたようなものだ。文句を言う口は元気でも、前へ進む足はだんだん弱っていく。

人のせいにして逃げるのは、初めは楽である。「俺は悪くない」と言えば、しばらくは胸も軽くなる。だが不思議なもので、逃げた先にはもっと面倒なことが待っている。借金から逃げれば利息が増え、仕事から逃げれば信用が減り、家族から逃げれば帰る場所が狭くなる。逃げ道と思った道が、いつの間にか袋小路になる。

もっとも、私だって逃げることはある。強い人に正面からぶつかっても、こちらの骨が折れるだけなら、ひょいと横へよける。ただし、逃げる時は逃げた後のことを考える。ここで一歩退けば、何を守れるのか。何を失うのか。いつ戻るのか。逃げるのは恥ではないが、逃げっぱなしは、自分で自分を迷子にするようなものだ。

だから私は、逃げるなら予定を立てて逃げる。風向きが悪ければ傘を差し、嵐なら軒下に入る。けれど、晴れたらまた歩き出す。人生は、誰のせいにしても代わりに歩いてはくれない。親のせい、時代のせい、世間のせいと荷物札を貼っても、背負うのは結局自分である。落ちは簡単。逃げるなら、せめて帰り道の地図くらい持って行け。

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