語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

「私の与太話」「戦後」

100えんメガネ

終戦記念日が過ぎると、今年も空襲、原爆、疎開、戦死者など、日本人が受けた戦争の被害が新聞やテレビで大きく取り上げられた。もちろん忘れてはいけない。しかし見ているうちに私は、「では日本が相手国の人々に与えた被害は、どのくらい語られているのだろう」と思った。戦争には、被害を受けた側だけでなく、相手に被害を与えた側の記憶もあるはずである。



昔、私が入院していた時のこと。同じ病棟に、戦争中の体験をよく話す老人がいた。記憶が混乱しているようだったが、外国で「こんなこともやった、あんなこともやった」と、まるで武勇伝のように語る。その内容を聞きながら私は、「戦争というものは、人間に平時なら考えられないことまでさせるのだな」と複雑な気持ちになった。



その一方で、私が知っていた普通の従軍経験者たちは、不思議なほど戦争を語らなかった。「どこへ行ったの」と尋ねても、「まあ、いろいろあった」で終わる。勇ましい話も、自慢話もない。もしかすると彼らは、自分がしたことだけでなく、仲間や現地の人々がしたこと、されたことまで見てしまったのではないか。思い出すことさえ嫌で、沈黙するしかなかったのかもしれない。



戦争を知る人が少なくなった今、被害の記憶だけでなく、加害の記憶にも目を向けなければ、戦争の半分しか見たことにならないのではないか。もっとも私は実際の戦場を知らない。だから簡単に決めつけることもできない。ただ、昔の兵隊さんたちが口を閉ざした理由を考えるたび、私は思う。――戦争で一番重かったものは、鉄砲でも背嚢でもなく、帰国してから背負った「話せない荷物」だったのかもしれない。