語り継ぐこころ/日本おとぎ噺・江戸小咄・古典落語・笑いの匠たち

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たちのダイジェスト版と挿絵です。たまに、私の与太話が入ります。 文も挿絵もChatGPTが作っています。   よかったら ★nice! をポチット押してね。

「私の与太話」「鈴木Mさん」

100えんメガネ

北方領土のニュースを見ると、私はいつも鈴木Mさん を思い出す。長年ロシアとの対話を訴え、モスクワへも足を運ぶ。その熱心さだけなら大したものだと思う。しかし相手はプーチンさんである。こちらが親しく話せば、その分だけ領土問題が前へ進むのかと思えば、北方四島はいっこうに動かない。私は地図を見ながら、「話が通じるのと、話が進むのは別物らしい」と首をひねる。



外交には対話が必要だろう。喧嘩したままでは何も始まらない。しかし鈴木Mさん の発言を聞いていると、ときどき私は「日本の政治家なのか、ロシアの事情説明係なのか」と分からなくなることがある。ロシア側にも事情があると言う。それはそうだろう。だが北方領土には日本の主張も、元島民の長い思いもある。相手を理解することと、相手に寄り添い過ぎることは、同じではないと思うのである。



もし私がプーチンさんなら、日本から来た政治家が「ロシアの立場も分かる」と何度も話してくれれば、きっと歓迎する。「これは話の分かる人だ」と思うだろう。しかし歓迎されたからといって、国後や択捉が一島でも戻ってくるわけではない。外交は友達づくりではなく、国益を背負った交渉である。鈴木Mさん の行動を見ながら私は、「握手の回数より、結果を数えたほうがいいのでは」と思ってしまう。



Mさん は対話が大事だと言う。プーチンさんも会ってくれる。ところが北方領土は相変わらず海の向こうで、日本とロシアの関係も難しいままである。私は妻に「外交というのは、会った回数ではなく、何を持ち帰ったかだ」と偉そうに言った。すると妻が、「あなたもスーパーへ何度も行くけど、頼んだ物を忘れてくるでしょう」。なるほど。――宗男さんを批判していたら、私の外交も手ぶらだった。