32.『古典落語』「長命(ちょうめい)」
江戸の町に住む年老いた男、町内でも評判の長寿者。顔には深い皺、髪は真っ白だが背筋はしゃんとしており、町の人々からは「ご隠居」と呼ばれて親しまれている。ある日、若い男が興味本位で声をかけた。「ご隠居さま、どうしたらそんなに長生きできるんで?」と。するとご隠居、頷きながらこう語り出す。「それはな、あるものを食べておるからじゃ」。

若者は食いつくように聞く。「それは何です?」「ま、特別なもんじゃない。毎朝、塩をひとつまみ、白湯に溶いて飲んでおる」。若者は目を丸くし、「たったそれだけで?」。ご隠居はさらに、「日々を淡々と、欲張らず、笑いを忘れず、身体を冷やさんようにしとるだけじゃ」。町の人々もその話に耳を傾け、「なるほど、長生きには秘訣があるもんじゃ」と感心しきり。

そこへ別の町人が横から口を挟む。「でもご隠居、あっしの隣の爺さんも塩湯を毎朝飲んどるが、先月ぽっくり逝っちまいましたぜ」。一同ざわつき、ご隠居も苦笑しながら、「そりゃ、あんた、飲み方が悪かったんじゃな」と受け流す。すると別の者がまた言う。「わしも塩湯始めたが、腹壊したぞ」。みな次第に話が怪しく思えてきて、「ほんとにそれで長命かいな」と疑いの目を向け始める。

ついにご隠居、観念してこう言う。「まあな、ほんとは長生きの秘訣なんぞ、ないんじゃ。たまたま、こうして生き残っとるだけじゃよ。あとは運と、なにより“人に好かれること”じゃな」。町の連中は「なるほど、それが一番難しい」と頷き笑い、ご隠居の話に感心した様子。江戸の空気にふわりと漂う、老いとユーモア。噺の終わりには、ご隠居が「さて、今夜も湯豆腐と熱燗じゃな」と言い残し、去ってゆく。長生きとは、案外そんなもんかもしれない。

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