75.日本おとぎ噺 「船幽霊(ふなゆうれい)」
ある漁村の沖では、夜な夜な「船幽霊」と呼ばれる化け物が出ると噂されていた。満月の晩、村の若い漁師・藤吉(とうきち)は、ひとり沖に舟を出した。海は静かで波も穏やかだったが、ふと背後に気配を感じる。振り返ると、舟のへりに白装束の女が立ち、こちらをじっと見つめていた。女は濡れた髪を垂らし、手には柄杓(ひしゃく)を持っていた。

女は無言で舟に乗り込み、柄杓で舟の中に海水を次々と汲み入れ始めた。藤吉は驚き、「やめろ!」と叫ぶが、女はひたすら水を入れ続ける。やがて舟は重くなり、沈みかける。「このままでは沈んでしまう!」藤吉はあわてて、老人から聞いた言い伝えを思い出す――「幽霊に柄杓を渡されたら、底を抜け」と。

藤吉はとっさに懐から小刀を取り出し、女の柄杓の底に穴を開けた。すると、汲んだ水がすぐに抜けるようになり、女は困った様子で水を汲み続ける。何度汲んでも水がたまらないことに気づくと、女の姿は次第に霞のように消えていった。舟の中は再び静まり返り、藤吉はがくりと膝をついた。

村へ戻った藤吉は、村人たちに事の次第を話した。年寄りたちは「やはり言い伝えどおりだった」と頷いた。それ以来、村人たちは舟に必ず底の抜けた柄杓を積むようになった。船幽霊はもう現れなくなり、藤吉の機転は「海の知恵」として長く語り継がれたという。

このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。