33.『江戸小咄』「料理指南所(りょうりしなんどころ)」
江戸は深川、裏長屋に住む与太郎が、ある日ぽつりと言った。
「オレぁ、剣術や読み書きはからっきしだが、味噌汁なら任せとけ」
近所の者たちは笑ったが、与太郎は本気だという。
「毎朝、味噌の加減で天気も気分もわかるんだ。ちと指南所でも開くかねぇ」
そんな与太郎の思いつきから、「料理指南所」が始まることに。

指南所といっても、長屋の縁側に鍋と七輪、そして湯呑みが並ぶだけ。
だが不思議と、女房に怒られた亭主、料理が苦手な娘、腹をすかせた子どもまで集まり始める。
与太郎は口調も板につき、
「豆腐はしゃべらねぇが、煮えすぎると泣きだす」
「味噌は心。濃けりゃ重く、薄けりゃ頼りねぇ」
などと妙なことを言いながらも、どこか腑に落ちる話をする。
町内では「味噌与太指南」と評判になっていく。

ある日、一人の武士が通りがかり、「指南所、見物つかまつる」と座る。
与太郎は平気な顔で味噌汁を出すと、武士はしみじみと味わい、
「……これは、母の味にござるな」と目を細めた。
「料理も剣も、心で煮るんでござんす」と与太郎。
武士は深々と頭を下げ、立ち去っていった。

その夜、長屋では「与太の味噌汁にゃ、涙が混じってる」などと冗談を飛ばしつつも、
みな心なしか静かに、いつもの夕餉を囲んだ。
――江戸の町には、刀も筆も握らぬ指南所がある。
それでも、教わるのは生きる知恵と、味噌のぬくもり。
味と人情の火が、小さな鍋から、今日もふんわりと立ちのぼるのでござんす。

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