「私の与太話」「総入歯」
私は六十歳で退職したのを機に、久しぶりに歯医者へ行った。痛む歯はなかったが、長年使ってきた歯だけに、あちらはぐらぐら、こちらは欠けかけ。先生は口の中をひととおり眺め、「年相応に傷んでいますが、定期的に手入れをすれば、まだ使えますよ」と言った。

ところが私は考えた。これから一本ずつ治しては、また別の一本が悪くなる。詰めて、かぶせて、抜いてと、歯医者通いがいつまで続くか分からない。退職して時間はできたが、その時間を待合室で使うのは惜しい。歯を残すか、歯医者との縁を残すか。これは大問題である。

そこで先生に、「いっそ全部抜いて、総入れ歯にできませんか」と聞いた。先生は少し驚き、「まだ使える歯もありますよ」と止めた。しかし私は腹を決めた。「悪くなる順番を待つより、こちらからまとめて片づけます」。こうして私は、天然の歯に一斉退職を言い渡した。

総入れ歯になってから十八年、幸い歯医者には一度も行っていない。歯が痛むことも、虫歯になる心配もない。時々、入れ歯の調子が悪いことはあるが、外して眺めれば原因はすぐ分かる。私は歯の治療をやめたのではない。歯医者へ行かないで済むよう、歯の方を先に退職させたのである。

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