「私の与太話」「詐欺」
新聞を開けば、また詐欺事件である。電話でだまされた、SNSで知り合った相手に送金した、投資話を信じたと、毎日のように載っている。被害額を見ると、三百万円、千万円、時にはそれ以上である。気の毒だと思うより先に、私はつい思う。そんな大金を払える財布があるだけで、まず立派ではないか。

私など、詐欺師が来ても取るものがない。三百万円を出せと言われても、こちらが先に「分割でお願いできませんか」と頼む始末である。詐欺師も商売である。金のない老人に長話をしても、電話代の無駄だろう。だから私は、だまされない自信があるのではない。だまされるだけの元手がないのである。

それにしても、SNSで知り合っただけの相手を、なぜそこまで信じられるのか不思議でならない。実名かどうかも分からず、会ったこともなく、家も仕事も顔も本物か怪しい。昔なら、隣の人でさえ油断するなと言われたものだ。それが今では、画面の向こうの知らぬ人に、通帳の中身まで心を開いてしまう。

もちろん、だまされる人を笑うつもりはない。人は寂しさや不安につけ込まれると、思わぬ判断をするものだ。ただ私は、詐欺に遭わぬほど貧しいのも少し寂しい。せめて一度くらい、詐欺師に狙われる小金持ちになってみたい。もっともその時は、金を払う前に妻から詐欺より厳しい取り調べを受ける。

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