「私の与太話」「洗車」
私は車を洗わない。世の中には、休みのたびに車を磨き、水をかけ、ワックスまで塗る人がいる。あれを見るたびに、私は不思議でならない。車がそんなに大切なら、家の柱も毎週磨き、屋根にもワックスをかけるのだろうか。私にとって車は、雨の日に濡れず、遠くへ行ければそれでよい道具である。

思えば私も、いろいろな車に乗ってきた。セダンのコロナマークⅡ、スポーツカーのフェアレディZ、荷物も人も積めるキャラバンやボンゴ。形も性格も違ったが、どれも結局は移動のための道具であった。速い車も、広い車も、汚れた道を走れば泥をかぶる。磨いたところで、翌日には鳥が上から感想文を書いてくれる。

もちろん車を大事にする気持ちを悪いとは言わない。きれいな車に乗れば気分もいいだろう。だが、洗車に半日かけ、少しの雨でため息をつく姿を見ると、車に乗っているのか、車に仕えているのか分からなくなる。私など、多少のほこりは旅の記録、泥は道路との交際費だと思っている。

車は床の間に飾る骨董品ではない。走って、積んで、濡れて、汚れて、それでも用を足してくれれば十分である。あまりにピカピカに磨かれた車を見ると、私はつい思う。そこまで大事にするなら、いっそ畳を敷いて、掛け軸の前に置けばよい。もっともその場合、車庫証明より先に床の間証明が要る。

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