よもやま文庫/語り継ぐこころ

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たち・私の与太話・古典小説のダイジェスト版と挿絵です。 文も挿絵もChatGPTが作っています。ちょんまげの描写が正しくできません。お許しを。

「私の与太話」「人類最後の日 」

100えんメガネ

世界を見渡せば、今日もどこかで戦争をしている。国境を越えて撃ち合う戦争もあれば、同じ国の中で争う戦争もある。テレビに映るのは、壊れた町、逃げ惑う人々、泣く子どもたち。それなのに人類は昔から同じことを繰り返してきた。「人類の歴史は戦争の歴史」と言われるのも、なるほどと思えてしまう。石器から槍、鉄砲、戦車、ミサイルへ。道具だけは立派に進歩したが、人間の頭の中はどれほど進歩したのだろう。



もっと気になるのは、今は戦争をしていない国でも「もっと武器を持て」「敵に負けるな」という声が大きくなることである。もちろん国を守る備えは必要だろう。しかし相手も同じことを考えれば、こちらが武器を増やし、相手も増やし、またこちらも増やす。最後には倉庫いっぱいの武器を抱えながら、「平和を守るためです」と言い合うことになる。平和のための武器が増えすぎて、いつの間にか武器を使う理由を探し始めたら、何とも皮肉な話である。



核兵器、無人機、人工知能。人間はとうとう、自分自身を何度も滅ぼせそうなほど強力な道具まで作ってしまった。昔なら殿様同士が喧嘩しても届くのは隣国ぐらいだったが、今は地球の裏側まで届く。ここまで来ると「人類はいずれ戦争で滅亡するのでは」と考えたくなる。しかし考えてみれば、人間は戦争をする一方で、何度も停戦し、条約を結び、敵だった国とも商売をし、結婚までしてきた。どうやら人間は、滅びたいのか生きたいのか、自分でもよく分かっていないらしい。



それでも私は思う。人類はそう簡単には滅亡しないのではないか。戦争を始める人がいれば、止めようとする人もいる。怒鳴る人がいれば、「まあまあ」と仲裁する人もいる。何千年も喧嘩を続けながら、まだ人類が残っているのだから大したものである。もっとも、安心はできない。ある日、本当に人類最後の日が来て、地球に最後の二人だけ残ったとする。「これで戦争も終わりだな」と一人が言う。するともう一人が答える。「ところで、この地球、どっちの物にする?」――たぶん、そこからまた始まる。


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