『宮沢賢治の詩と心象風景』第六回「小岩井農場」6話 本部の建物と冬の記憶/全12話
【原文】
本部の気取つた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない
【現代語訳文 】
桜やポプラの並木の向こうに、本部の少し気取った建物が立っている。けれど、寂しげな観測台を見上げても、ロビンソン風力計の小さな椀も、風にぐらぐら揺れる風向計も、もう見つけることはできない。冬の日に確かに見たはずの景色は、季節の光の中へ溶け、記憶だけが静かな風となって胸を通り過ぎていく。

【原文】
さつきの光沢消しの立派の馬車は
いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。
五月の黒いオーヴアコートも
どの建物かにまがつて行つた
【現代語訳文 】
さっきまで光を吸い込むように走っていた立派な馬車は、今ごろどこかで、ふと忘れられたもののように静かに止まっているのだろう。五月の風の中を歩いていた黒いオーバーコートの人影も、もうどれかの建物の角を曲がり、見えなくなった。あとには、淡い光と風だけが残っている。

【原文】
冬にはこゝの凍つた池で
こどもらがひどくわらつた
(から松はとびいろのすてきな脚です
向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
【現代語訳文 】
冬になると、ここにある池は固く凍り、その上で子どもたちが声を弾ませ、夢中になって笑っていた。から松は、鳶色に染まったすらりとした脚を並べて立っている。向こうで白く光っているものは、雲なのだろうか。それとも風に舞う粉雪なのだろうか。冬の景色は、光の中で静かに揺れている。

【原文】
それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです
おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)
【現代語訳文 】
それとも、野原いっぱいに積もった雪が、日の光を受けて輝いているのでしょうか。凍った池をすべりながら、いったい何がそんなにおかしいのです。笑い声を風に弾ませるあなたたちの頬は、冬の寒さと楽しさで、林檎のように真っ赤ですよ。
