よもやま文庫/語り継ぐこころ

日本おとぎ噺・江戸小咄、古典落語・笑いの匠たち・私の与太話・古典小説のダイジェスト版と挿絵です。 文も挿絵もChatGPTが作っています。時々間違えます。お許しを。

『宮沢賢治―光と風の生涯』 第四部 病床の祈りと残された作品 第十三章 病と東北砕石工場

100えんメガネ

昭和三年、農業指導に力を注ぎ過ぎた賢治は、高熱と胸の苦しみに襲われて倒れた。医師から静養を命じられ、実家の病床で長い日々を過ごす。思うように畑へ出られないことを悔しく感じながらも、農民の暮らしを少しでも良くしたいという願いは消えなかった。体調が回復し始めると、賢治は再び自分にできる仕事を探し始めた。



賢治は、石灰岩を砕いて肥料や土壌改良材を作る東北砕石工場の仕事を手伝うことになった。酸性の強い土に石灰を施せば、作物が育ちやすくなる。地質や肥料を学んだ自分の知識を生かせる仕事だった。賢治は製品の説明文や広告を考え、農家に適した使い方を伝えるため、熱心に資料を作った。病後の体でありながら、新しい希望を見いだしていた。



工場の製品を広めるため、賢治は東京へ向かった。重い見本や資料を抱え、店や会社を訪ねて販売先を探したが、思うような成果は得られなかった。暑さと疲労が病後の体をむしばみ、宿で高熱を出して動けなくなる。それでも家族への手紙には、自分の苦しみより仕事への責任を記した。農民の役に立ちたいという願いが、賢治に無理をさせていたのである。



東京で病状を悪化させた賢治は、父に付き添われて花巻へ戻った。その後は遠くへ出歩くことが難しくなり、東北砕石工場の仕事からも離れざるを得なかった。しかし、病床でも農業相談に答え、詩や童話の原稿を直し続けた。体は次第に弱っていったが、人々とすべての命の幸福を願う心は衰えなかった。残された時間を、賢治は静かに言葉へ注いでいった。