『宮沢賢治―光と風の生涯』 第三部 教師と農民のための理想 第十二章 雨ニモマケズの日々
昭和三年、農民への肥料相談や農作業に力を尽くしていた賢治は、無理が重なり、重い病に倒れた。羅須地人協会の活動を続けることができなくなり、花巻の実家で療養することになる。外へ出られない日々の中でも、窓の向こうの田畑や働く人々を思い、自分に何ができるのかを考え続けた。

体調が少し良くなると、賢治は机に向かい、詩や童話の原稿を直した。農民から肥料や稲作について相談の手紙が届けば、病身を押して返事を書いた。自分の苦しみよりも、冷害や貧しさに悩む人々の暮らしを気にかけた。病床は静かであったが、賢治の心はいつも野山や農村を歩いていた。

昭和六年、賢治は黒い手帳に「雨ニモマケズ」と書き記した。雨や風、雪や暑さに耐え、自分を数に入れず、病人や困る人のもとへ行く人物の姿である。それは立派な英雄ではなく、賢治自身がそうありたいと願った人間像だった。病で思うように動けないからこそ、他者の幸福を願う心はいっそう強くなった。

賢治が願ったのは、ほめられることでも、名を残すことでもなかった。欲を持たず、怒らず、よく見聞きし、苦しむ人に静かに寄り添う「デクノボー」である。病は賢治の体を弱らせたが、すべての命の幸福を願う心を奪うことはできなかった。「雨ニモマケズ」は、彼の生涯を支えた祈りとして後世へ残された。

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