52.『江戸小咄』「貸雪隠(かしせっちん)」
ある日のこと、長屋の与太郎が、裏長屋の隠居にこっそり尋ねる。
「へぇ、ご隠居、ちょいと雪隠(せっちん)を貸してもらえやせんか」
どうやら自分のところの雪隠が壊れてしまい、急を要する様子。
ご隠居は「かまわねぇよ」と快く許すが、与太郎は恐縮しきり。

それからというもの、与太郎は毎日のようにご隠居の雪隠を拝借。
しかも「お借りします」「ありがてぇ」「助かりやす」と、礼儀だけはやけに丁寧。
ご隠居は最初こそ笑っていたが、日に日に妙な気分になる。
「なんだか、わしの雪隠が貸家になっちまったみてぇだな」とぽつり。

ある日、ご隠居がふと思い立ち、入り口に小さな木札をかける。
《貸雪隠 一回一文》と、冗談交じりに墨書き。
するとそれを見た与太郎、真顔で「こりゃあ、商売で?」と聞き返す。
「いや、冗談だよ」とご隠居は笑うが、与太郎はじっと札を見つめる。

翌朝、与太郎は小銭を握りしめ、真面目な顔で現れる。
「これで三回分、つけにしちゃ悪ぃんで」
ご隠居は吹き出して、「お前さん、律儀だねぇ。でもその分で、雪隠の修理でもしな」
――江戸の町には、雪隠一つにも笑いと人情が詰まっていたのでござんす。

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